我が子に毒親のように振る舞って苦しい…。まず自分の傷の深さを知ろう/なぜ、愛は毒に変わってしまうのか⑥

暮らし

公開日:2024/10/29

自分を育て直す――毒親育ちの宿命から解放されるには

 自分の傷の深さを見つめてそれを癒すといっても、癒された経験の少ない人には、どうしていいのかまるでわからないものかもしれません。傷ついて育った人は、人を傷つける方法は何通りも学んできているでしょうけれど、人に愛情を注いで癒す方法については学んできていないからです。もちろん、そんな状態では、自分を愛してあげるなんていう芸当は至難の業でしょう。

 とはいえ一方で、愛情をちゃんと注いでほしかった、という気持ちはずっと抱えてもいます。自分を一人の子どもとしてちゃんと愛して、育て直してほしかった、と、心の奥底で信頼できる人を探しているのです。

 時にはその役割を、恋人やパートナーに求めてしまうこともあるでしょう。自然な恋愛感情以上の何かを相手に求めてしまい、それが得られないと世界全体から拒絶されたような絶望感を味わってしまう、という人は、相手を対等なパートナーとしてではなく、かつて子ども時代に自分を愛してくれるはずだった人の代わり、と無意識にとらえている可能性があります。

 どんなときも、24時間365日、自分を見つめて、愛して、可愛がってほしい――この要求は、恋人やパートナーにするものではなく、本来は親に対して向けられる要求だったはずのものです。しかしながら、それは満たされることがなかったために、恋人やパートナーをその代理として、自分自身を育て直そうとする。これが、いわゆる「重い女」や、「束縛する男」の一側面なのだろうと思います。傷ついた子どもを心の中に住まわせている人にとって、恋人は対等な恋人ではなく、自分を愛してくれるはずだった〝ママ〞の代わりなのです。

 しかし、大人としての社会生活のある恋人やパートナーに、24時間365日自分だけを見ていてほしい、と要求するのは、かなり酷な話です。時には相手の犠牲を愛の証として要求するような人もいます。傷があまりにも深く、誰かを信用したいのにできないからこそ、そういった要求をするのでしょうが、その要求を永遠にかなえ続けることは現実的には無理な話で、早晩この関係は破綻してしまいます。そして、また傷を深くしてしまうのです。

 傷を癒そうとして誰かを探すのに、却って自分の傷をえぐるようなことをしてしまう。その繰り返しの中で、自分はもはや救われないのだと思う人もいるかもしれません。

 しかし、冷静に考えてみてほしいと思います。子どもを24時間365日、見ていられるのはそれが期間限定であることがあらかじめわかっているからではないでしょうか。しかも、その子育て期間ですら、実際には24時間365日ずっと、子どものことを見ていられるわけでもなく、思うようにならないものです。それなのに、恋人やパートナーに対して、いつ終わるかもしれない24時間365日をずっと続けられるでしょうか? さすがに無理があるとは思いませんか。

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