モンゴル帝国の始祖が過ごした少年期とは?素朴な少年がチンギス・カンとして大帝国を収めるまでの片鱗を描く歴史小説

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PR 公開日:2024/10/18

チンギス紀 火眼(集英社文庫)"
チンギス紀 火眼(集英社文庫)』(北方謙三/集英社)

 人類史上最大規模とも言える、広大な領土を持つモンゴル帝国を築いた始祖チンギス・カン。彼の一生をドラマチックかつ壮大に描いた大長編『チンギス紀』全17巻が、いよいよ文庫版となり順次発売される。待ち望んでいた読者も多いのではないだろうか。

 第1巻となる『チンギス紀 火眼(集英社文庫)』(北方謙三/集英社)は、幼き頃のチンギス・カンが、命を狙われて逃げるところから始まる。

 後のチンギス・カンことテムジンは、わずか10歳で父を亡くす。父のイェスゲイは、様々な氏族に分裂していたモンゴル族をまとめあげるまであと一歩というところで、タタル族により殺害されてしまう。

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 一つになりかけていたモンゴル族は再び混乱の渦へ。イェスゲイがいなくなったことを好機として、自らが長になろうと画策するもの、イェスゲイの正妻のホエルンを後妻にしようとする者。様々な思惑が渦巻く。

 そんな中、10歳のテムジンが異母弟を殺害するという事件が。兄弟殺しは禁忌だ。しかも殺した理由が「弟が魚を盗んだから」という、あまりにも些細で、不可解な理由であった。

 異母弟を「殺さざるを得なかった」ことが、テムジンの運命を大きく変える。テムジンは処罰の対象になり、同族から命を狙われるように。その裏には、モンゴル族の長を狙う様々な人間の野望が渦巻いているのだが、命を狙われたテムジンは、過酷な砂漠を越え、金国へと逃れる。

 このことが、後に大帝国を築くチンギス・カンの「礎」ともなる出会い――帝王学の書や鉄の製造方法、仲間――がもたらされるきっかけとなる。

 14歳になった時、テムジンは金国から、零落した母や兄弟が細々と暮らす故郷へ戻ることを決める。

 同族に見つかれば殺されるかもしれない場所でありながら、テムジンは、父の遺志を継ぎモンゴル族の統一を――否、更なる大きい、何か宿命のようなものに突き動かされ、故郷へと帰還するのであった。

 1巻目の『火眼』では、まだ幼いチンギス・カンの姿しか描かれていないので、この聡明だが寡黙で素朴な少年がいかにして大帝国の始祖になっていくのか、想像がつかない部分も多い。しかし、その片鱗を垣間見ることもできる。

 私がそう感じたのは、金国でテムジンの雇い主であった蕭源貴(しょうげんき)の存在だ。蕭源貴はテムジンを殺すため追ってきた刺客の命を、テムジンを守るために奪う。それから、生きているのか死んでいるのか分からないような蕭源貴の人生が、大きく変わっていく。こんなセリフがある。

「生きることの意味を、ある時、わかってしまう人間がいる。わからないまま、生き続けるやつもいる。どちらがいいとは、たやすくは言えんさ」

 私はこのセリフに、何かハッと胸を打たれたような気持ちになった。

 テムジンが意図したことではないが、彼の存在が一人の人間を目醒めさせたのだ。偶然テムジンに出会い、生涯の従者となるボオルチュも同じだと思う。

 テムジンは人の心に火をつける。そんな「きっかけ」をもたらす人間に出会えることはとても貴重で、運命的で、誰の人生にもあり得ることではない。

 知らず知らずの内に多くの人々を覚醒させる。それがテムジンという、火の眼を持つ存在なのだと感じた。

 今後テムジンがどのような成長を遂げ、死線を越え、人類史上最高規模の大帝国を創り上げていくのだろうか。文庫版となり手に取りやすくなった今こそ、その軌跡を追い続けてみたい。

 それだけの魅力が本作のテムジンには秘められている。

文=雨野裾

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