過去の経験から、愛する人と触れ合えない――『ライオンのおやつ』小川糸さん最新作が描く、人を愛し、生きる力を取り戻すこと
PR 公開日:2024/10/14
自分を大事にするって、どういうことなのか。本当の意味でわかっている人が、いったいどれほどいるだろう。誰かに理不尽に傷つけられて、尊厳をとりもどすことができないままに、自分を否定しながら生きてしまったり、日々に忙殺されて心身を痛めつけてしまったり。いったい何のために生きているのか、自分の価値はどこにあるのか、見失ってしまいがちな人たちに寄り添うような小説を、小川糸さんはずっと、紡ぎ続けてきた。
新作小説『小鳥とリムジン』(ポプラ社)の主人公・小鳥は、唯一の身内である母親からの愛に恵まれなかった女性だ。シングルマザーながらにお手伝いさんを雇い、娘を私立の小中一貫校に通わせるほどの経済力をもつ母親は、表向きには立派。けれどその実、異性との触れ合いに依存し、夜な夜な不特定多数の男を家に連れ込み、その営みを小鳥は幼い頃から目の当たりにして育ってきた。やがてみずから母親を捨てて、施設に入った先でも、理不尽に痛めつけられることばかりだった小鳥に、初めて救いの手を差し伸べたのは、自称父親のコジマさんだ。
自分の安全を脅かす相手からは逃げる。その先で、人としてあたりまえに尊重してくれる相手に出会う。それがどれほど大事なことなのか、小鳥がコジマさんと過ごす日々を通じて実感する。死に至る病におかされたコジマさんの世話をすることで、小鳥は経済的な援助を受ける。一方的に養われるのではなく、つとめを果たす対価を得ることで、小鳥はようやく自由を得た。誰かの顔色をうかがいながら心をすり減らし、搾取されるばかりの生活を抜けて、自分自身の生活を満たすことを考えられるようになったのだ。ギブ&テイク、という言葉はビジネスライクに聞こえるけれど、対等な立場で何かを交換して初めて守られる尊厳もあるのだと思う。
その日々の先で小鳥は、弁当屋の理夢人(リムジン)という青年に出会う。二人の心に芽生えたのは、かなりはやい段階から、恋だった。けれど過去の経験から、他人と触れあうことができない小鳥は、なかなか理夢人を受けいれることができない。小鳥にとってセックスとは、醜くて、そして人を不幸にするものだったから。
そんな小鳥が、理夢人との語らいを通じて、少しずつこわばっていた心身をほどいていく過程が、とても愛おしいなと読んでいて思った。セックスなんてしなくてもいい、ではなく、何年かかってもいいからいつかできるときがくるまでゆっくり関係を育んでいこう、と寄り添いあえる二人の姿も。
「体を道具にしちゃいけない」「神様は、一時的な快楽をむさぼるために体を与えてくれたんじゃない」というのは、理夢人を育ててくれた大切な人の言葉。傷を乗り越えていくのは、傷ついたままでいるよりも、もしかしたら苦しいことかもしれないし、一時的な快楽に身を委ねたほうがその場はラクかもしれない。でも、どんなに時間がかかっても、前を向く努力を重ねることでしか人は希望を見出せない。支え合える誰かと出会うためにも、最初の一歩は自分で踏み出さなくてはならないのだろう。
人生をサバイブしていく小鳥の物語を通じて、私たちもまた生きるための力をとりもどす。そして今よりほんのちょっと強くなった先で、自分も誰かに手を差し伸べられるようになりたい。そんな祈りが、本書には込められているのである。
文=立花もも