ぼんやりした総意をくっきりさせる「たとえツッコミ」/ツッコミのお作法④

小説・エッセイ

公開日:2024/11/11

しゃがんだお尻がかぼちゃに見えた…比喩が映像で“降ってくる”

僕自身は映画やマンガをマニアックに追っているタイプではないですし、活字が苦手なので本もほぼ読みません。インタビューなどでたまに「どうやって言葉や表現をインプットしてるんですか?」と聞いていただくことがあるのですが、答えがまだ用意できていません。強いて言うならば、人との会話や、たまたま目にしたものからストックしていっているのかもしれないです。たとえをゼロから生み出すことは不可能なので、過去にそれに似たシチュエーションを見たり経験したりしている必要があります。そういう意味では、自分の人生全部がツッコミにつながっているとも言えそうです。

ママタルトの大鶴肥満という、体重190kgの芸人がいます。ライブ中に2人でトークしていたとき、特になんのボケでもなかったんですが大鶴肥満が後ろを向いてしゃがみこむシーンがありました。190kgの人間がしゃがんだときのお尻を見たことありますか?ど迫力とはこのことかというインパクトでした。それを見て腰を抜かした僕は、「今年いちばんのパンプキンだ」とツッコミました。全国のかぼちゃ農家さんがバカでかいかぼちゃを出品して競い合う「おばけかぼちゃコンテスト」みたいなイベントってありますよね。以前、テレビか何かでたまたま見たそれが記憶にあって、本当にその瞬間、大鶴肥満のお尻がおばけかぼちゃに見えたんです。なんなら優勝して喜ぶ農家のご夫婦まで見えましたからね。

似たところでいうと、学生時代、自転車のサドルに積もっていた落ち葉をフ〜ッと優しく息で払った先輩に「いや、バースデーケーキか」とツッコんだことがあります。そのときはサドルの上にホールケーキが見えましたし、先輩の肩に「本日の主役」と書かれたタスキがかかっているのもうっすら見えた気がしました。答えが降ってきてくれているので、これはただただラッキー。「ありがてぇ」と思いながらそのまま言っています。記憶力のない僕が鮮明に覚えているくらいそんなことは滅多にないので、基本的には脳をひっかきまわして引っ張り出してます。こういうのを当たり前に連発できるのが諸先輩方のすごさですよね。

「たとえたい」気持ちが先行して痛い目を見た過去

たとえツッコミの本質は、みんなが薄々思っていることの輪郭をくっきりさせることです。観ている人に「そうそう、そう思っていた」「言われてみれば、たしかに」と思ってもらえたとき、その気持ちよさが笑いにつながるんだと思います。僕はくりぃむしちゅーの上田(晋也)さんに憧れて芸人を志しました。上田さんといえば、たとえツッコミの代表的存在。面白さと気持ちよさが見事なバランスで共存してますよね。

ただ僕は、養成所時代、その大前提を完全に無視して痛い目にあいました。当時は今と違ってコンビで漫才をしていたのですが、上田さんに憧れるあまり、全ツッコミにたとえを盛り込んだネタをやっていたんです。「岩塩か」と言いたすぎて、塩も味覚もまったく関係ないボケに対して「素材の味を活かすな!岩塩か!」と無理やりツッコんでめちゃくちゃスベったのを覚えています。

たとえたいだけのツッコミはエゴに過ぎません。あのしょっぱい経験が成長に繋がりました。岩塩だけに。

(取材・文/斎藤岬)

<第5回に続く>

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森本晋太郎(もりもと・しんたろう)/1990年、東京都出身。お笑いトリオ「トンツカタン」のツッコミ担当。プロダクション人力舎のお笑い養成所・スクールJCA21期を経て、現在はテレビやラジオで活躍中。