「二度と読み返したくない」と話題のホラー小説『隣の家の少女』。少女を襲う悲劇の数々を、あなたは最後まで見届けられるだろうか……
公開日:2024/10/18
子どもの頃から、ずっと無くなることのないものの一つに「いじめ」や「DV」がある。何をされるいわれもない人が、意図的に無視され、すべての悪事や面倒事を押し付けられ、暴行にまで発展する場合があるそれらは、決して許されることではない。加害者側も、少し思いとどまり、被害者側の立場になれると、いじめやDVに手を染めようとは考えないはずなのだが……。
ではなぜ、加害者側はそういった考えに至らないのか。それはきっと、一度手を染めてしまうと人が受ける痛みや苦しみに対する“情”が、すぐ麻痺するからなのだろう。または、自分の中の歪んだ正義が、「いじめ」や「DV」という名の中毒を発生させているのかもしれない。『隣の家の少女』(ジャック・ケッチャム:著、金子浩:翻訳/扶桑社)には、そんな加害者側に宿る悪心の変容が如実に描かれている。
物語は1958年の夏。主人公で12歳のデイヴィッドの隣家に、メグとスーザンの姉妹が引っ越してくることから始まる。隣人の家主はルース・チャンドラー。デイヴィッドと歳が近い3人の息子、ドニー、ウィリー、ラルフの4人で暮らしている。メグとスーザンはルースの姪にあたり、自動車事故で両親を亡くして行く当てのない2人をルースが引き取ったのだ。
一見、とても親切で子ども想いのルースだが、本書では彼女の素性が徐々に暴かれていく。街で開かれるカーニバルにはメグやスーザンを連れていくことはせず、おまけに「お腹が減っても冷蔵庫の中のものを勝手に食べるな、デブを養うつもりはない」ときつく叱り、乾いた洗濯物を落としたことがわかると彼女らに罵声を浴びせるのだ。そういった罵声や癇癪は次第にエスカレートしていく。
そしてある日、メグはいわれもない罪をなすりつけられ、地下室のシェルターに閉じ込められてしまう。そこで行われるのは、縛り付け、食事を一切与えない、性暴力といった非人道的な暴虐の数々。息子たちも最初こそ動揺していたが、ルースに加担しはじめる。デイヴィッドはというと、彼は傍観者として半ば強制的に参加させられる。次第に自身の無力感や「誰かに告げ口をすると、自分もメグのようになるかもしれない」と思うようになり、自己保身に走ってしまう。読み進める中で、何度「助けてあげてほしい、大人を1人呼んでくるだけで解決する話ではないのか」と彼に問いかけたかわからない。
なぜこうした行為が平気でできてしまうのか。冒頭でも述べたように、それはきっと心の鈍麻と歪んだ正義感にあるだろう。書中でルースはよく「これはメグのためだ」と言っている。「自分がやっていることは正しい」と歪んだ正義を貫いているためか、他者の苦痛などお構いなしになってしまっているのではないだろうか。息子たちもそうだ。ルースの言葉を「正」とするしかない環境であるがゆえに、心が洗脳され、自身の行為の異常さに気付かなくなっていく。決して読んでいて気持ち良いものではないが、本書はこうした加害者の心の変容がとてもうまく描かれている。
久しぶりに「狂気的な作品」と出会ったかもしれない。僕と同じように「もうこれ以上読めない……」と思う人もいるだろう。読む際は必ず、フィクションであると肝に銘じること、そしてあまりメグやデイヴィッドの感情に入れ込まないことをおすすめする。
文=トヤカン
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