現代で言うと定年後の再雇用!? 老練の臨時廻り同心が、知恵と矜持と人情で江戸の悪事を小粋に裁く。「うぽっぽ同心」シリーズ第2シーズン待望の刊行スタート!

文芸・カルチャー

PR 公開日:2024/10/21

うぽっぽ同心十手裁き 蓑虫"
うぽっぽ心十手裁き 蓑虫』(坂岡真/中央公論新社)

 損得では動かない。仕事でも、人付き合いでもその姿勢を貫くことができたなら、どんなに清々しいだろうと思いつつ、流されてしまうのが浮世の常。できるだけ波風は立てたくないし、置かれた立場ではどうにもならぬこともある。それになんと言っても自分がかわいい。頭のなかの算盤は、知らず知らずのうちに損得勘定をはじき、そんな自分に嫌気が差してくる。

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“猫に小判、うぽっぽに十手などと、上役や同僚に陰で笑われている。よかろう、笑えば笑え……天道人を殺さず、窮地に立つものを救ってこその十手持ちではないか”――。

「はぐれ又兵衛」シリーズ、「鬼役」シリーズなどで、時代劇読者を大いに湧かせる坂岡真氏が生み出した「うぽっぽ同心」シリーズの主人公、臨時廻り同心の長尾勘兵衛は、損得勘定ではけっして動かぬ、清廉かつ豪快な采配で、そんなくさくさとした気持ちを昇華してくれる。南町奉行所の定廻りを三十年近く勤めた後、臨時廻りに転身、そろそろ隠居しようかとも思案する勘兵衛は、今で言うなら定年退職後の再雇用の立場に近いだろうか。眉間のほくろに福々しい頬、暢気に歩き回るその姿から“うぽっぽ”と呼ばれる彼は、目こぼし料を受け取らず、手柄は欲しい奴にくれてやる、野心の欠片もない五十路半ばの同心。けれど人知れぬところで江戸の悪事を小粋に裁く。

 2005年に徳間文庫から刊行し、大好評を博した本シリーズは、22年秋から中公文庫で復刊が始まり、第1シーズンとも言える「うぽっぽ同心十手綴り」全七巻が刊行。そのフィナーレとして還暦を過ぎた勘兵衛を描いた書き下ろし新作「うぽっぽ同心終活指南」二巻が、この年明けにリリースされた。そしてついに待望の第2シーズン「うぽっぽ同心十手裁き」の刊行がスタート!

 幕開けの一作『うぽっぽ同心十手裁き 蓑虫』(中央公論新社)では、定廻りの鯉四郎に嫁いだひとり娘・綾乃に子が宿り、初孫の誕生を待ちわびる勘兵衛の姿がある。そして二十年余り、失踪していた妻・静が帰ってきているのだ。それも大半の記憶をなくして……。捕り物はもちろんのこと、妻の謎、さらに勘兵衛自身もわからぬ己の出自のことも物語の鍵となっていくのが、「うぽっぽ同心十手裁き」シリーズの醍醐味のひとつである。

 三話を収めた一冊の冒頭作、「降りみ降らずみ」では、立秋の頃、本所竪川のほとりに屍骸を調べる勘兵衛の姿がある。近くに落ちていた女物の下駄と朱色の破れ提灯。その持ち主を探り、辿り着くのは向島の料理茶屋。岡場所あがりの苦労人、女将・おくずはなにやら隠し事をしているようで……。屍骸の男は、大店惨殺事件の犯人、“おたふく小僧”の一味と判明するが、その裏には巨悪と市井に生きる人々の哀しい事情があり――。

“どのような理由があろうとも、人殺しは大罪だ。人殺しを許せば、十手持ちの正義に反する。だが、正義ということばほど、胡散臭いものはない”。

 十手持ちとして、定めを第一とするものの、杓子定規に善悪を判断するのもどうか――と思案を巡らせる勘兵衛の思い、人情が、人々の心をこまやかに掬いとっていく。二話目の「れんげ胆」では、困った者たちの手助けを生き甲斐にし、公事を持ち込む百姓たちから生き仏のように慕われていた公事宿・対馬屋の主人が辻斬りに遭い、命を落とす哀しい場面から始まる。対馬屋を斬った後、人斬りが歌っていたのは、ある地方に伝わる子守歌。対馬屋の葬儀に現れた謎の浪人を追ううち、わかってきたことは――。

 そして表題作「蓑虫」では、窓のない黴臭い部屋でひとり書庫整理をしていることから「蓑虫」と揶揄される、勘兵衛とは同期の蓑田源十郎との痛快で、切ない“裁き”が描かれていく。かつて吟味役として大がかりな抜け荷を追っていた蓑田。しかしその証拠を掴みかけた途端、起きた悲劇。重陽の節句で賑わう浅草寺の裏道でみつかった左手の薬指がない男の屍骸、そして主に手込めにされそうになったことから、その目を簪(かんざし)で突き、縄をかけられてしまった下女の娘……。いくつもの事件が重なり合い、その糸がいつしか結ばれていくところにあるもの、そこへと立ち向かっていく勘兵衛と蓑田の姿を追ううち、読み手のなかに熱いものが滾ってくる。

 本作の初版が刊行された約20年前には、今ほどSNSは普及しておらず、“炎上”という言葉もまだ一般的ではなかった。勘兵衛が心を砕き、その行く末について考えていく人々のなかには今であれば、炎上の的になってしまう人たちもいる。コロナ禍で拍車がかかった“自己責任”という言葉が表すように、どんどん狭くなってきてしまった人の心の許容量――。約20年ぶりに「うぽっぽ同心」シリーズが復刊した意味のひとつがそこにもあるような気がしてならない。

 この一冊からスタートする第2シーズン「うぽっぽ同心十手裁き」シリーズから読み始めても、すぐさまその世界に浸れるところも、このシリーズのうれしいところ。もちろんいったん読み始めたら、第1シーズン「うぽっぽ同心十手綴り」シリーズ、「うぽっぽ同心終活指南」シリーズと手が伸びていくのは必至だが……。

“橋詰めの広小路から寺社境内の盛り場へ、町々の自身番を順番に覗いたかとおもえば、貧乏長屋の並ぶ路地裏から路地裏へ――”。

 一日に十里は江戸の町を歩く勘兵衛。その目に見えてくる季節の風物も本作の醍醐味のひとつ。現在の地名にも残る町の姿に思いを馳せながら読むのも、さらには本を片手に町へ出て、かつての風景を想像しつつ、“うぽっぽ”とともに、散策するのも楽しいだろう。

文=河村道子

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