「編集者の私が物語を左右してしまったのではないか」文芸誌編集者の漫画を描く中で見えた、彼らの謙虚さとは【北駒生インタビュー】

マンガ

更新日:2024/10/25

『銀河のカーテンコール』の北駒生先生による、待望の最新作『書くなる我ら』(いずれも講談社)。主人公は、小説界に熱い風を吹かせたいと望む、文芸誌「群青」の編集者・天城勇芽。ある日、編集長から若い世代向けの新文芸誌創刊の計画を聞かされた彼女は、作家集めに奔走する。そんな彼女が出会ったのは、酪農家、ミュージシャン、前科者……様々な人生を生きる小説家たち。静かに、そして熱く物語を紡ぐ「書く」人と「編む」人たちの群像劇となっている。

本記事では『書くなる我ら』単行本第1巻の発売を記念して、北駒生先生にインタビューを敢行。もともと好きだったという小説を漫画で描く上での葛藤、そして実在の文芸誌への取材を通して得た新たな創作の糧とは?

小説界は色々な世代が描ける珍しい表現ジャンル

――まず、物語の舞台を小説界とされた理由を教えてください。

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北駒生さん(以下、北):何かにひたむきに打ち込む人たちの群像劇に興味があったんです。物語の舞台が学校の部活や会社だと、性別や年代で区切られてしまうかもしれませんが、小説は老若男女が参入し各々が自由に表現できる場。作中で酪農家、ミュージシャン、女優と異なる職業の人たちが一堂に会するように、小説界は色々な世代が描ける珍しい表現ジャンルなのではないかと。

 あと、幼い頃から大好きな小説の世界を描きたかったというのも理由の一つです。学生の頃は文芸誌を熱心に読んでいましたし、小説は私にとってすごく身近な存在なんです。

――前作『銀河のカーテンコール』でも小説は物語の重要なキーとなっていました。北先生にとって小説は漫画を描く上で必ず取り入れたいテーマなんでしょうか?

:『銀河のカーテンコール』では主人公が図書館司書だったので、小説という物語を誰かに手渡したり、実は関わっている人が作家であったり、確かに小説はものすごく大きな存在であったように思います。そういえば、デビュー作『夜光日和』の主人公は脚本を書いていましたし、過去10年の間で小説家は作中に何人も登場していますね。思い返せば言葉に従事している人たちの物語をずっと描いてきました。

文芸誌「スピン」「群像」への取材で得た、新たな創作の糧

――『書くなる我ら』を描くにあたり、文芸誌「スピン」「群像」の編集部に取材されたと伺いました。大好きな小説が生まれる場ということで、喜びと興奮もひとしおだったのではないかと思いますが、いかがでしたか?

:もう素晴らしかったです。きっと編集部のみなさんは、就職先としてこの場所を選んだというよりも、ご自身の人生において小説がものすごくかけがえのない存在だったんだろうなと。そういったエピソードを実際に仰っていたわけではないのですが、発せられる言葉の中から伝わってくるものがある。みなさんが積み重ねてきた大きな山みたいなものがそびえ立っているような感覚があって圧倒されました。

 そして、何よりもみなさんの作家への向き合い方。それぞれの敬虔(けいけん)さと言いますか、作家への静かな敬意をもとに物語が生み出されている。その尊さに心が洗われ、とても美しい気持ちになって編集部をあとにしました。

――主人公・天城勇芽は文芸誌の編集者という役どころですが、取材が作品に活きたと感じた点を教えてください。

:取材で見聞きしたものを足すのではなく、「引かされた」という感覚が大きいです。実は初期の段階では、天城にもっと漫画の主人公的な振る舞いをさせていたんです。

 例えば、2話で天城が瞬に「物語ってね 生きる目印になるんだよ」と言うシーン。最初のネームでは天城の顔を主人公らしくアップにしていたのですが、それだとまるで自分の手柄にして話しているように見えてしまう。このシーンはもう少し引いた感じで抑え気味にしても伝わると思ったんです。それは取材を通して、実際に編集に従事されている方々は、敬虔な気持ちと慎重さを持ってお仕事なさっていることを知ったから。

書くなる我ら

書くなる我ら

――先ほども編集者の方々のことを「敬虔」と表現されていましたね。

:取材させていただいたなかで、特に印象深いエピソードがあります。とあるベテラン作家さんを担当されている編集者の方のお話なのですが、その作家さんの作品のなかではキャラクターがいずれ亡くなる運命であったと。でも編集者が作家さんに「このキャラクターがとても好きです」と、自らの思いを熱心に伝えたら、そのキャラクターが生かされたそうなんです。

 その話を聞いた私は、作家と編集者の素晴らしい関わりによって生まれる、とてもロマンチックなエピソードだと感じたのですが、ご本人は全くそう思っていらっしゃらなかった。むしろ「あれで本当に良かったのだろうか」「私が先生の物語を左右してしまったのではないか」と、自分のなかに切々と抱えている様子を見て、これが本当の敬虔さなのだと身に染みました。

 一連の取材を通して、編集者という人物像のリアリティーや立体的なものがより立ち上がっていく感覚がありました。決して漫画的にやれば良いというわけではなく、キャラクターを一度ろ過して、その上でどう動かすのか考えていく……これは取材をさせていただいたことで得た、創作の新たな糧です。ご協力してくださった皆様に本当に感謝しています。

“生きている者”として立体的に立ち上がるまで考え抜く

――作中には、酪農家、ミュージシャン、女優、前科者と、様々な人生を生きる小説家が登場します。魅力あふれる小説家のキャラクターたちはどのようにして生まれたのでしょうか?

:群像劇なので、主人公格のキャラクターが複数必要になってくるのですが、まず中心に何を考えているのか分からないぶっきらぼうな酪農家・一之宮瞬がいて。その次に彼と被らない存在としてミュージシャンの才原蓮が生まれました。彼をミュージシャンに設定したのは、文芸誌に馴染みのない方が本作を読むと考えた時に、好きな人が多いであろう身近な存在のミュージシャンなら興味を持ってもらえるのではないかと考えたから。

――才原はミュージシャンと小説家、両方の面で葛藤を抱えていて、目が離せない危うさと不思議な魅力があります。

:ミュージシャンとしては、本当の自分ではないミステリアスな路線で売り出されていて。本当の自分を出したくて小説の世界に行ってみたものの、まだまだ思うように自分の表現ができない……才原はたくさんのジレンマを抱えながら前に進んでいくキャラクターです。一見すると大勢の人から支持されているスターが、実はこんなにもナイーブな一面を抱えているというのは、魅力的に映るのかもしれませんね。

――第4話で描かれる、前科者・六波羅睦の物語は胸に迫るものがありました。「書く」に辿り着くまでの、それぞれの人生史はどのようにして生み出されているのでしょうか。

:一番大切なのは「この人は過去にどんなことがあったんだろう」と、読者さんにページをめくってもらうこと。六波羅の前科者という設定はとてもセンセーショナルですし、描く上でたくさんの試行錯誤がありますが、これは読者さんに少しでもページをめくってもらうためのトライでもあります。

 ですが、ただ話題性を追求するのではなく、彼の人生を追走して責任を持って描くということを大切にしています。六波羅の幼少期に何があったのかというところまで飛び込み、彼の一生を追体験していく……。他のキャラクターにも通ずる話ですが、決して自分の頭のなかにあるとか、借りてきたキャラクターなのではなく、本当に生きている者として立体的に立ち上がってくるまでずっとずっと考える。そういった作業を何十時間も経てキャラクターたちが生まれます。

書くなる我ら

作中に登場する小説も自作「大変よりも面白さの方が大きい」

――作中では、そんな彼らが書く小説も登場します。『書くなる我ら』という漫画としての物語と、作中に登場する小説としての物語、2つの生みの苦しみがあるのではないかと感じました。

:本当に断片でしかないのですが、作中に登場する小説も私が考えています。その作業が大変だというイメージを持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、逆にすごいキャリアの作家さんのものすごい“サビの部分”を抜き取れるわけですよね。ですから大変よりも面白さの方が大きいです。

 例えば、第2話に登場する『紙舟』という小説も、本当だったら何百ページも書かなければいけないところを、つまみ食いするようにクライマックスの瞬間を抜き取って書いたり、ベテラン作家・市川忍なんだからこれくらいハッタリかましてもいいんだ! と、作家のキャラクターに乗っかったり(笑)。もちろん全て自分から出ているものですが、壮大な何かがパッとこちら側の物語にゲスト出演してくれている感覚ですごく面白いです。

――ベテラン作家・市川忍が小説『紙舟』について模索するシーンもそうですが、本作では絵で魅せるシーンが多くとても引き込まれました。また、引きのアングルもとても印象的ですが、絵作りについて何かこだわりはありますか?

:先にイメージが浮かぶことが多いです。ですが、最初のイメージに加えて、いかに読者さんに面白く伝えられるのか、目にした瞬間にパッと惹きつけられるものになり得るのかを考えてから絵に起こします。

 引きのアングルについては、映画の影響が強いかもしれません。ただアップにするよりも、スッと引いて見せる。北野武監督の映画は引きの絵が美しいとよく言われているように、映画だったらこうして見せるよな……と、自分のなかにある映像表現の好きな部分が作品に出ているかもしれません。

書くなる我ら

書くなる我ら

静的なものを扱うからこそ、動的なもので読者を惹きつける

――10月22日に待望の第1巻が発売されますが、収録話の1~5話を振り返った時に一番苦戦したことをあげるとするならいかがですか?

:1巻はまず読者さんに立ち止まってもらうために、複雑に込み入ったことをするのではなく、1話ごとに完結する物語で構成しています。『書くなる我ら』とはこういう物語なのかと知ってもらう……イントロの要素がすごく強いんです。

 そうして読者さんをカタルシスへ誘うことを徹底する一方で、文学をこんな簡単にまとめていいのか? 漫画としての面白さに擦り合わせるために欺瞞や嘘が滲んでいないか? という葛藤がありました。ですが、決して一話一話早急に解決しているのではなく、一歩ずつ大きな山を登っていて、その先にクライマックスがあるという思いでやっていますので、なんとかそこまで辿り着けるように頑張ります。

――ご自身が小説を好きだからこその葛藤ですね。

:あとはジャンルとしての難しさもありました。例えば、医療や刑事モノは一般的に人気のジャンルと言えますが、小説界が舞台と聞いて人が集まるかと言ったら決してそうではないと思うんです。だからこそ、読んでもらうためにどうすれば良いのかをすごく考えました。

 例えば、リアルに文芸編集者と作家さんの物語を描くとなると、色々な出来事が起こっていたとしても、座姿勢で打ち合わせをしているという構図が多くなってしまう。基本的に内省的になりがちな表現分野ですので、天城を活発的なキャラクターにして常に動かしたり、執筆の過程を山登りにたとえて絵的な広がりを見せたり……。つまり、静的なものを扱うからこそ、動的なもので読者さんを惹きつけるということを意識していましたね。

人と人が関わることで生まれる“風のような瞬間”に注目

――特に思い入れのあるシーンをあげるとするならいかがですか?

:『書くなる我ら』は、人との関わり合いによって生まれる物語です。作家一人だったら生まれない、人と人が関わることで生まれる“風のような瞬間”が毎回クライマックスに起こります。1話で、天城が初めて瞬の小説を読んで心の中に風が巻き起こったり、4話では六波羅が小説家を志すきっかけとなるようなパッと花が散る瞬間を描いたり……。なかでも5話に登場する新人作家・卯月さんの高校時代の回想では、爽やかなだけではない、少し影のあるビターなシーンが描けたのではないかと思います。このシーンを描けたのはやっぱり文学だからこそと言いますか、その他の表現分野だったらこう描こうとは思わなかったはず。すごく思い出に残っているシーンです。

――ありがとうございます。最後に読者の方に向けてメッセージをお願いします。

:本作を通して、小説を書く人や文芸誌を作っている人たちが、どういう思いであるのかを身近に考えてもらったり、私自身やっぱり小説は素晴らしい表現分野であると感じていますので、作品をきっかけにぜひ小説に手を伸ばしていただけたりしたらと。

 小説、文芸誌がテーマということで、難しいイメージを持たれている方もいらっしゃるかもしれませんが、『書くなる我ら』は人と人との関わり合いを描いたコミュニケーションの物語です。誰にでも置き換えられるような、普遍的な人との関わりを描いているので、肩肘張らずに豊かな気持ちになってもらえたら嬉しいです。

取材・文=ちゃんめい

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