心が疲れている時こそ、美味しいご飯を食べよう。痛みにそっと寄り添う食事に腹が鳴る! ヒューマングルメマンガ
PR 公開日:2024/10/28
看護師だったころ、激務に疲れた心と体を癒してくれたのは、手作りの料理を食べる時間で、当時の私の癒しとなっていた。思いやりや愛情が詰まったご飯は仕事の疲れやモヤモヤを吹き飛ばしてくれる気がするのだ。そんな料理にこめられた人の温かさを再認識させてくれたのが『優しい声よりメシがいい』(伊藤静/少年画報社)だ。仕事とプライベートでうまくいかない日が続いている人にこそ読んでほしい作品である。
物語の主人公は旅行会社に勤める海野幸、32歳。彼女は結婚間近で恋人と破局してしまう。残ったのは新しい生活のために購入した3DKマンションと年間160万のローンと失望感だ。加えて仕事の業績もうまく伸びず、心が疲れてしまった海野。もう何を食べても「美味しい」と感じられなくなってしまう。この時点ですでに海野の不運は相当なものだが、これで終わらない。なんと会社の「営業成績優秀者祝賀会」で酔いつぶれるというとんでもない粗相をしてしまうのだ。これだけ不運なことが続けばお酒が進むのも仕方ない気がするが。
朝、目が覚めると、彼女は上司で祝賀会の主人公・安田の家にいた。意思疎通がとれないほど泥酔していたため、自分の家に連れて帰るしかなかったとのこと。申し訳なさと恥ずかしさが募る海野だったが、安田は「とりあえず、朝ご飯を食べましょう」と提案。そこで彼の料理を堪能する海野は、これまでの辛い出来事を思い出しながら涙してしまう。ご飯を食べて涙を流すなんて、経験をしたことがない人がほとんどだろう。ただ彼女にとって、独りになってからの日々は、生きていく意味を感じることができないほど辛い期間だったのだ。仕事をするにしても、ご飯を食べるにしても「何のために?」がつきまとう日々は、想像するだけでも嫌になる。そんな時に人の心を動かすのは、やはり優しさがこめられた美味しいご飯である。きっと安田が作るご飯には、思い詰めた海野の心を解きほぐし、満たす優しさがこめられていたのだろう。
本書の魅力のひとつは、安田の作る自炊ご飯がとにかく美味しそうな点にある。作中では、作り置きが可能でスタミナがつくことで定番のビビンパや、ポテトサラダ、豚汁、ミニハンバーグを敷き詰めた「作り置き敷き詰め弁当」、色とりどりの食材で味の変化を楽しめるお茶漬けなど、自炊生活者には共感の嵐が起こるであろうメニューが紹介される。また自炊生活のプロともなると、何でも作れるようで……安田は海野ら同僚と開催したクリスマスパーティで何種類ものピザを、年明けには助六寿司をパパっと作ってしまう。
またそんな美味しいご飯が、人の心を温め、溝を埋めてくれるシーンが描かれるのも本作の魅力だ。例えば第5話~7話では、海野の同僚・山下の話がメインとなるのだが、彼女も海野と同じように不安を抱えていた。1年前に父親を亡くし、長女という立場から2人の弟を養わなければいけなくなってしまったのだ。そんな中、頼りになる存在の安田に恋心を抱くも、海野が彼と親しくしている様子を見て嫌悪感を抱き、八つ当たりをしてしまう。恋愛絡みでできた溝はとても深いように感じるが……安田の料理はそれさえも埋めてしまう。彼の振る舞う美味しいご飯とともに食卓を囲むことで、海野も山下も抱えきれずにいた不安や不満を吐露できるようになり、心のわだかまりが少しずつ解けていくのだ。そんな心温まるシーンにもぜひ注目していただきたい。
私が言うまでもないことではあるが、仕事は辛いこと、やりたくないこと、面倒なことが盛りだくさんだ。中にはそんな日々に忙殺されて趣味も楽しめない、海野や山下と同じように心が疲れてしまっている人もいるだろう。そんな人にこそ、自分が美味しいと感じられるご飯を食べてほしい。自分で作るのも良し、誰かと一緒に食べるように作るのでも良し、本作は自炊がメインであるが、心が温かくなるのであれば外食だっていいだろう。美味しいものを作ったり食べたりする時間が、きっといま感じている辛さを少しだけ和らげてくれるはずだ。本書はそのことに気付かせてくれる1冊と言えるだろう。
文=トヤカン