江戸川乱歩風ラブレター? 夏目漱石『こころ』みたいな三角関係? 文学青年と女子大生の不思議系ラブストーリー
PR 公開日:2024/11/8
文豪が描いた世界と今は確かにつながっている。東京は文京区、特に小日向近辺を散策していると、ふいにそんな感慨に襲われる。茗荷谷駅から江戸川橋駅にかけてのこの地域には、かつて多くの文豪たちが暮らしていたらしい。夏目漱石、田山花袋、横光利一。団子坂に住んでいた江戸川乱歩が描いた『D坂の殺人事件』、『鼠坂』の森鷗外など、やたらと坂の多いこの街を舞台にした作品を挙げたらきりがない。小日向は、すぐそばに文豪の息遣いを感じることができる街なのだ。
そんな小日向で暮らし始めた女子大生の物語にニヤニヤが止まらなくなってしまった。その物語とは、直木賞作家・中島京子さんによる最新作『坂の中のまち』(中島京子/文藝春秋)。どうしてニヤニヤが止まらなくなってしまったかといえば、この物語ではとびきりファニーな文学オタクたちが女子大生を文学の世界に誘う、そのさまに思わず頬がゆるまされるのだ。文豪が描いた世界と女子大生の生きる世界は、どんどん溶け合って、ときに境界がなくなることも。知られざる文学知識、歴史知識にあっと驚かされたり、クスクス笑わされたり。文学好きは間違いなく惹かれる、不思議な青春ストーリーだ。
主人公は、北陸の高校を卒業し、東京の女子大への進学を決めた坂中真智。母親から、祖母の親友である志桜里さんのところに下宿しろと言われた彼女は、言われるがまま、志桜里さんの家から大学に通うことになる。志桜里さんの家は小日向にあり、どうやら彼女はそのことを誇りに思っているらしい。真智に会った途端、志桜里さんは、小日向という土地の歴史やこの地を舞台とした文豪の作品について次から次へと話し始める。そして、志桜里さんの家で暮らしながら大学生活を送る中で、真智はすっかり小日向という街が好きになっていた。
元ヒッピーで小日向への愛強めの志桜里さんをはじめ、真智を囲む人たちはみんな個性豊か。少し古めかしい言葉遣いで、口癖から妙なあだ名がついている「よしんば」や、イタリア人との恋に悩む泉さんなど、大学の友人たちもキャラが立っているが、最も風変わりなのは、ひょんなことから知り合った、他大学の3年生・エイフクだろう。エイフクは、憑依型の文学青年。はじめて真智に会った時も、ある古い作家になりきって、横光利一を「先生」と呼び、ヤマモト先生だとかヨネカワ先生だとか、キシダ先生だとかコバヤシ先生とかについても熱っぽく語り、何にもないような場所でピタリと足を止めると、「獅子の頭が見える」などと言い出すのだからおかしい。だけど、文学好きならば、文豪が何を考えていたのか味わいたくなってしまうエイフクの気持ちも分かるのではないか。エイフクの場合はちょっと度が過ぎていて、真智はたびたび困惑させられるのだが、そんな彼に翻弄されながら、やがて真智は彼と恋に落ちる。
江戸川乱歩の『黒手組』にちなんだ暗号まがいのラブレターをもらったり、フェロノサの妻と飲み明かしたり、安部公房『鞄』を再現する謎の男と邂逅したり。さらに、真智は、夏目漱石の『こころ』さながら、亀卦川くん(K!)とエイフクとの三角関係に悩んだりする。そんな真智の大学生活は、普通の大学生活とはちょっぴり違うように思えるけど、読めば読むほど、ワクワクが止まらなくなる。「この作品、そんな風に読んだことはなかった!」という有名作品の意外な読み方を知ったり、読んだことのない作品に出会えたり、はたまた乙女心を解さぬエイフクの言動にヤキモキしたり。真智を囲む文学談義と、思うようにいかない恋模様から目が離せなくなってしまう。
ユーモアと文学知識が炸裂。どこか不思議なのに胸がキュンとなる、こんな読み心地は中島京子さんの作品ならではだろう。文学好き、本好き必読。あなたも、真智と一緒に、文豪が愛した小日向という街で、不思議な大学生活を送ってみませんか。
文=アサトーミナミ