息子が突然「死にたい」と言い出し、不登校に。いじめ、ネグレクト…かつて不登校児だったわたしが2度目の不登校に親として立ち向かう
公開日:2024/11/15
家庭の事情や、学校内での人間関係のもつれ。それらが原因となり不登校になった過去をもつ主人公・うみ子。そして、ある日を境に突然学校に行くことができなくなったうみ子の息子・ねむ。『親子で不登校になりました。』(最上うみみ/竹書房)は、子どもの不登校をきっかけに、自分のつらい過去と向き合わざるをえなくなったシングルマザーの姿を描く。
物語の冒頭、息子のねむから衝撃的な言葉が飛び出す。
「ぼく…もう死にたい」
とっぴな台詞に、驚きを隠せない。しかし、言葉の引き出しが少ない子どもが、自分の心のコンディションを表現するために発しただろうことは想像に難くない。つまり、拾うべきは言葉ではなく心の内なのだ。
もう死にたいと思うほど、追い詰められている息子。一体なにが原因なのだろう。学校に行きたくないというねむを、強引に学校へ送り出すことがうみ子にはできなかった。
それはかつて、うみ子も不登校児であったから。うみ子はネグレクトやクラス内でのいじめを経て不登校になり、学校や大人に不信感を抱いていた。そんな学生時代を生きていたうみ子は、ねむのように弱音を吐露したくてもできなかっただろう。
不登校となったねむは、一日中ゲームに明け暮れ、食事もろくに口にしなくなった。自分の母親が無関心であったからこそ、ねむを見守り続けると意気込んでいたうみ子。しかし当事者としての不登校と、見守る側としての不登校には、また違った苦労があるようだ。
つらい時代を過ごし、なんとか立ち直ってきたうみ子。今度は彼女が「子どもの不登校」という問題に翻弄され、再び頭を悩ませる姿には胸がしめつけられる。
当事者には不登校を選ぶ明確な理由があるはずだ。しかし、周囲にはその理由がわからず、不登校がいつ明けるのかもわからない。諦めてはいけないが、解決のために必死になればなるほど、当事者は意固地になることを忘れてはいけない。
その人にはその人だけが許される人生がある。その人生をどう尊重するか。不登校に対峙する姿勢のヒントは、紛れもなく本作に描かれている。