「発達性読み書き障害」と診断され救われた気分に。学校に相談して受けた配慮/読み書きが苦手な子を見守るあなたへ⑦
更新日:2024/11/19
『読み書きが苦手な子を見守るあなたへ 発達性読み書き障害のぼくが父になるまで』(関口裕昭:著、千葉リョウコ:イラスト、宇野彰:監修/ポプラ社)第7回【全9回】
読み書きが苦手な子は40人クラスに約3人。原因がわからず学校の課題をこなせなかったくやしさ、苦しさ。障害を理解し、将来を模索し続けた日々。自立するとはどういうことか、学校や家族ができる、よりよい支援の形とは何か? そして発達性読み書き障害について発信を続け、理解を深めていくことの意味は? 言語聴覚士、また父として日々奮闘する著者が希望と決意に満ちたメッセージを『読み書きが苦手な子を見守るあなたへ 発達性読み書き障害のぼくが父になるまで』で綴ります。
※書籍では当事者へ配慮し、すべての漢字にふりがなが振られています。
努力不足じゃなかった!
発達性読み書き障害、発達性ディスレクシアだと診断されたとき、僕は救われた気分になりました。これまでは、腕の骨が折れているのに「ボールを投げろ」と言われている状態だったと気付いたからです。骨折していたら投げられなくて当たり前。がんばればどうにかなるというものではありません。
この本を読んでいる方の中には、身近な人が発達性読み書き障害だと判定され落ち込んでいる方もいるでしょう。ですが、当時の僕は圧倒的な解放感を味わっていました。
僕は怠けていたわけじゃない。努力不足じゃなかったんだ。
そう認められたように感じ、抱えていたストレスから解き放たれ、「みんなのようにできないといけない」という思い込みを捨てることができました。
今思うと少しふっきれすぎちゃったかな、と思うほどに。
髪にストレートパーマをかけ、眼鏡をコンタクトに変え、全部きっちり留めていたボタンを第2ボタンまではずしたら、見た目につられて性格まで明るくなり、トイレでごはんを食べていた孤独な僕は一変して、友だちと学校をサボってカラオケに行くほど高校生活を謳歌するようになりました。この変化には先生も友だちも驚いたようです。
ただ、病院に行ってから診断を受けるまでは半年以上かかりました。
最初は学習障害を疑っての受診ではなく、とにかく気持ちが疲れていて不安定だったので、それを診てもらうべく精神科のある大きな病院へ行きました。
ところが、何度か通っても検査まではたどりつかず、「文字が苦手な理由」はわかりませんでした。この期間は、病院に通っても改善が見られず、やるせない気持ちを抱えていました。
ようやく検査を受け、診断書が手元にやってきたのは高校2年生になる頃でした。
無事に(?)、発達性読み書き障害であると証明されたことで、学校に対して配慮を求めることもできるようになりました。
僕の通っていた高校は進学校だったこともあり、「この学校に配慮が必要な生徒がいる」という認識をお持ちの先生はいなかったのではないかと思います。そのため、まずは学校側に診断を受けたことの報告と合わせて、授業中にしてほしい配慮について相談をしました。母と一緒に、どういったことで困っているかを伝え、この高校を卒業するためにはどうすればいいのか、具体的な支援内容についてすり合わせていきました。
母が学校のPTA役員をしており、学校側との折衝の経験があったことも幸いでした。
それでも話し合いは何度も重ねた記憶があります。具体的な支援についてすり合わせたあと、教頭先生から各教科の先生に伝達をしてもらいました。
結果として、僕が高校で受けた配慮は主に次の2つです。
・音読ではなく問題形式で指名する
授業中に指名するときに「音読」では当てず、一問一答形式にしてもらいました。一問一答形式だと「わかりません」と答えることができます。音読は「わかりません」と答える選択ができないので、逃げ道がないのです。僕にとっては音読がなによりストレスだったので、この配慮により安心して授業が受けられるようになりました。
・テストではなく、課題で赤点を回避
英語のテストでは、課題により赤点を免除してもらいました。課題は量が多く大変でしたし、当時の僕にとって最適な配慮であったかはわかりませんが……。
本来、合理的配慮は「個人に合った支援を受け、学びを深める」ために行われます。しかし、このとき僕が受けていた配慮の目的は「卒業」でした。学べる環境を整えるための配慮ではなく、僕が卒業するにはどうしたらよいかを考えての決定だったのです。
赤点を回避するための課題という配慮。授業に出席し、赤点を回避すれば卒業ができる。そう考えた上での2つの配慮でした。
僕は配慮により、学校に通うことができ、無事に卒業することができました。気にかけてくれる先生が学校にいることに安心感があり、勉強への意欲を保つことができたので、配慮を実施してくれた学校には感謝をしています。
ですが、もし当時の自分にアドバイスができるなら、テストでの配慮もしてほしかったと伝えるでしょう。たとえば選択方式のテストにしてもらい、記述回答はなしにしたり、問題文にふりがなをふったり、読み上げてもらったり。配布物やプリントにもふりがながあればよかったなど、「こうすればもっと多くのことが学べたのに」と思うことはいろいろあります。
こうした配慮は、僕が高校生だった頃よりも一般的に広まってきているのではないかと思います。また、高校以前に小中学校でも、合理的配慮の例は増えてきています。しかしそれでもまだ、適切な配慮を受けるには情報が足りていないと感じています。まだまだ変化の途上であり、地域差も大きく、配慮の実例はあっても、その情報が広く知られてはいません。忙しい先生方が通常の学級運営と個別の配慮をどのようにして両立すればいいのかのガイドラインもありません。
現在、その子にあった配慮を受けるには、保護者が学校や教育委員会へ説明しなければなりません。療育センターに通う保護者の方々を見ていても、家事や育児、仕事に追われながらさまざまな手続きをするのは、体力的にも精神的にも負担が大きいものだと感じています。
僕自身がつらい気持ちでいっぱいだったときには、母の苦労に思いをはせることはできませんでしたが、母もきっと言葉にできない感情を抱えていたのだと思います。ちょうど同じ時期に父の病気が発覚したこともあり、母は父のケアをしながら、僕の病院や検査に付き添ってくれていました。病院めぐり、検査、発達性読み書き障害の判定、その後の大学受験……母はそのすべてに寄り添ってくれました。父は僕が18歳のときに帰らぬ人となりました。晩年は畑を耕し野菜を育て、温かい心で僕の健やかな成長を見守ってくれていました。今でも感謝しています。
そんな中、僕と一緒に呼ばれた講演会で、母はこう語っていました。子どもの障害と向き合う中でいちばん大切にしていたのは「自分を追い詰めず、子どもも追い詰めないこと」だと。
合理的配慮の実現により、お子さんが安心して学校に通えるようになるのはよいことですが、その交渉に注力するあまりあなたが追い詰められてしまったら本末転倒です。
みなさんは今、追い詰められていませんか?
お子さんを追い詰めそうになっていませんか?
お子さんの学びの状態や学校への配慮について情報交換をしたり、悩みを相談できる場所は、みなさんの近くにありますか?
時には、あなたも息抜きしてくださいね。
<第8回に続く>