大人になり「発達性読み書き障害」を気軽に話せるように。自信のなかった学生時代からの変化/読み書きが苦手な子を見守るあなたへ⑧
公開日:2024/11/20
『読み書きが苦手な子を見守るあなたへ 発達性読み書き障害のぼくが父になるまで』(関口裕昭:著、千葉リョウコ:イラスト、宇野彰:監修/ポプラ社)第8回【全9回】
読み書きが苦手な子は40人クラスに約3人。原因がわからず学校の課題をこなせなかったくやしさ、苦しさ。障害を理解し、将来を模索し続けた日々。自立するとはどういうことか、学校や家族ができる、よりよい支援の形とは何か? そして発達性読み書き障害について発信を続け、理解を深めていくことの意味は? 言語聴覚士、また父として日々奮闘する著者が希望と決意に満ちたメッセージを『読み書きが苦手な子を見守るあなたへ 発達性読み書き障害のぼくが父になるまで』で綴ります。
※書籍では当事者へ配慮し、すべての漢字にふりがなが振られています。
はじめての告白
小中学校を通して、たくさんの友だちに恵まれましたが、一度も読み書きが苦手だと話したことはありませんでした。というのも、何度も書いているように、僕自身が本気で「努力不足」だと思っていたから。
みんなはもっと努力してスラスラと書けるようになっているのだから、読み書きが苦手だと言うのは「努力が苦手だ」と言うのと同じようなものだと捉えていたのです。
もちろん言語化はできていませんから、感覚的に……です。
発達性読み書き障害と診断され、困り感に名前がついたあとでも、「話しても伝わらない」と思っていました。「なんで?」「なにそれ?」「大丈夫でしょ!」と言われて終わりになるのも怖かった。変な目で見られるかもしれないという不安もありました。
ただ、高校生活の中で3人だけ発達性読み書き障害であると伝えた相手がいました。
最初に話したのは、小学校から付き合いのある部活(合唱部)の親友。この人からなら何を言われてもいいと心から思える相手でした。
「俺、読み書きが苦手な障害なんだって」という告白への、彼の返事は「あ、そうなんだ」というあっさりしたものでした。僕は、それがなんだか嬉しかった。
「楽譜読むのは俺がやろうか?」
その言葉に何度救われたかわかりません。
けれど、クラスではもちろん、一緒に授業をサボってカラオケに行っていたほかの友だちには話すことができませんでした。
元クラスメイトに、自分の障害について話せるようになったのはつい最近のことです。
発達性読み書き障害のことは知らなかったので、その場で検索して調べてもらいました。
高校の頃は絶対言えないと思っていた相手に、カミングアウトではなく、自分の近況を話すような世間話として、まるで「花粉症なんだ」と言うのと同じくらい気軽に「発達性読み書き障害なんだ」と言えた。この心境の変化はどこから生まれたのでしょうか。
それは「ありのままの自分」を受け入れることができたからだと思います。
どんなに努力してもできないと思い悩んでいた小中学生の頃、判定を受けたばかりの高校生の頃は、とにかく自信がありませんでした。現在は、悩んでもどうにもならないことと努力でなんとかなるものを見極め、肯定的に諦めながら前に進んでいます。何をもって自分の心が満たされて「大丈夫」になるのかは、個人差があると思います。僕にとっては家族と自立して生活できることでしたが、友だちという人もいれば、年収や経験という人も、肩書きやSNSのフォロワー数という人もいるでしょう。
ここで感じたのは「二次障害」を起こしていたときと、今の安定感との違いです。
読み書きが苦手なのは変わっていないにもかかわらず、職場でも家庭でも自分の苦手を理解してもらえて安心できていること。それ以外のことは指摘されますが、いちばん苦手で自分の努力ではどうにもできない「読み書き」については指摘されない。読み書きが苦手なことが、自分の評価を下げない環境。それがあってはじめて僕は、ありのままの自分のことを受け入れられるのだと気付きました。
弱い(苦手な)部分を相手に見せたらどう思われるのだろうかという不安は、たとえどんな自分を見せても大丈夫だと思える拠り所を複数得ることで消失したのです。
今、誰にも言えない苦しみを抱えている子どもたちに、いつかこういう日が訪れるように願うとともに、そんな子どもたちと関わるときには、かつての苦しみ、あのときの気持ちを忘れまいと誓っています。みんなのつらさを、「大したことない」と言う権利は誰にもないと僕自身が身をもって知っているから。
僕のこの経験は、「いつか大丈夫になる日が来る」と保護者のみなさんの安心材料としてお伝えしましたが、困っているお子さんに直接伝えることには注意が必要です。
「いつか大丈夫になる日が来るから大丈夫」というのは、さまざまな経験を乗り越えてきた大人だから言えることであり、子どもにとっては苦しみをわかってもらえないという、さらなる苦しみを生み出すことにもなりかねませんからね……。