吉田修一が放つ本格ミステリー! 新刊『罪名、一万年愛す』で描きたかった時代と人々【インタビュー】
公開日:2024/11/8
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2024年12月号からの転載です。
嵐に見舞われた絶海の孤島、財を成した一族、当主の失踪、その場に居合わせた探偵──。オーソドックスな推理小説然とした設定が詰め込まれた『罪名、一万年愛す』。その著者が吉田修一と聞いて意外に思う人も多いのではないだろうか。
取材・文=瀧井朝世 写真=干川 修
「編集者と新作の打ち合わせをしている時に、山崎豊子や松本清張の話になり、“『華麗なる一族』みたいな話はどうですか”と言われて。それが頭の隅にあったのは確かです。ただ、それとは別に、書きたかったことがあって。それを自分なりにどう書こうか考えるうちに、今回のフォーマットになった気がします」
そもそも自分にミステリーが書けるとは思っていなかったという。
「江戸川乱歩や横溝正史などは好きでしたが、現代のミステリーはあまり読んでいなくて。今回書くにあたっても、リズムを確認するためにクリスティーの作品を何冊か読み返した程度。でも、ミステリーについてそこまで詳しくないからこそ、構えることなく書けたのかもしれません」
横浜に事務所を構える私立探偵の遠刈田蘭平は、実業家一族の3代目、梅田豊大から奇妙な相談を受ける。デパート業で成功をおさめ現在は引退している祖父、梅田壮吾の素行がおかしいという。梅田翁は現在、長崎県のプライベートアイランド、野良島の屋敷で余生を過ごしているが、住み込みの家政婦の話によるとここ最近、夜な夜な「一万年愛す」という名前の宝石を探しているらしい。なんでもそれは、25カラット以上のルビーで、時価35億円といわれる代物だというのだ。
折しも壮吾の米寿の祝いがあり、蘭平は豊大とともに野良島の豪邸に赴く。だが嵐が迫る朝、壮吾は忽然と姿を消す。残された手紙には〈私の遺言書は、昨晩の私が持っている。〉という一文が――。
シリアスになりすぎない、この文体がチャレンジでした
それにしても遠刈田蘭平という名前、実にインパクトがある。
「以前書いた『愛に乱暴』という小説がこの夏映画化されたんですが、プロデューサーが横山蘭平さんという方で。何年か前にはじめてお会いした時にいい名前だと思い、いつか小説に探偵を出すことがあったら名前は蘭平にしますね、と冗談で言っていたんです(笑)。遠刈田という名字は、日本の名探偵は地名の名字が多い印象だったので、温泉地から選びました」
この探偵、推理は冴えているものの、どこか暢気で善良そうな雰囲気がある。
「最初はドラマ『探偵物語』の松田優作さんをイメージしていたんですが、書き始めてすぐ人物像が変わりました(笑)。あまり探偵然とした振る舞いをしない人ですよね。でも、そもそもこの小説は探偵を主役にしたつもりはないんです。主人公は完全に、梅田壮吾だと思いながら書いていました」
戦後の混乱期から努力を重ね、大きな事業を成し遂げた壮吾。しかし彼には1970年代半ば、世間を騒がせた「多摩ニュータウン主婦失踪事件」の容疑者となった過去がある。結局アリバイがあり容疑は晴れたというが、読者としてはここに何か秘密があると思わずにはいられない。
そんな不穏な要素はあるものの、本作はどこか緩やかな空気が漂う。誰かが読者に語りかけているかのような文体も特徴的だ。
「あまりシリアスにはならないように気を付けました。今回、いちばんのチャレンジは文体だったんです。『国宝』で書いた“〜でございます”といった文体の場合、この口調でいくと決めたら後はわりとラク。それより、今回の小説や『横道世之介』のような、軽そうな文体をずっと持続させるほうが難しいですね」
ややコミカルなシーンもある。たとえば屋敷のシアタールームにあった3本の映画の内容を、豊大の母や遠刈田が順番に芝居がかった調子で説明する様子は、なかなか笑える。
「彼らのいる場所がある種の密室状態なので、舞台的だなと思って。それで演劇の要素を入れてみました。それに、その映画にどんな思い出や感想を持っているかを語らせることによって、キャラクターに厚みが出せるんですよね」
ちなみに3本の映画とは、『人間の証明』、『砂の器』、『飢餓海峡』。いずれも昭和の名作だ。
「今回の話を作る際に何本かの古い映画を思い出しました。この3本には共通するテーマがあります。どれも戦後からの流れが背景にある話で、自分はミステリーというよりは人間ドラマとして面白く観ました。戦後まもない頃ってダイナミックな物語を生む時代だったんだなと感じた映画でもあります」
本作もまさに戦後から今にいたるまでの、梅田壮吾の人生に関わる物語だ。その長い月日の中で、彼が抱えていた秘密とは?
いちばん書きたいことはストレートに書きたくないんです
戦中・戦後の混乱期を生きた人の姿が浮かび上がる構成といえば、一昨年刊行した『ミス・サンシャイン』もそうだった。吉田さんの中に、あの時代に生きた人々を書き留めておきたい気持ちがあるのでは。
「そうかもしれません。僕は今56歳ですが、若い頃から本でも映画でも古いものが好きで、戦争が背景にあるものを描いた作品に触れることが多かったんです。それに僕は長崎県の出身で、小学生の頃から原爆について教育を受けてきている。『ミス・サンシャイン』は自分なりに原爆について書けたと思っていますが、今回の小説も、自分なりに書きたかったことが書けました」
その“書きたかったこと”を、直球で投げつけることはしない。
「いちばん言いたいことはストレートには言いたくないんです。小説はもう絶対、そのほうが伝わるから。だから『ミス・サンシャイン』は原爆のことを書くために戦後ハリウッドで活躍した日本人女性の話にしたし、『太陽は動かない』は虐待を受けた子供たちを書くためにスパイ小説にしました。どうにかして読んでもらいたくていろいろな設定を書いていますが、どの小説でも人間を書く、という核は全然変わっていません。人間を書くためにいちばんいい物語、文体、タイトルを探していくのが、小説家の仕事かなと思っています」
本作も、終盤では予想もしなかった人生模様と、真摯な思いが浮かび上がり、胸に迫る。そしてエピローグで明かされる事実については、「ちょっと遊びました」というように、思わず顔が綻んでしまう。
ところで、〈一万年愛す〉とはウォン・カーウァイ監督の香港映画『恋する惑星』に登場する有名なフレーズでもある。
「すごく好きな映画で、このフレーズがずっと頭に残っていました。別にいつか小説に出すつもりだったわけではないんですが、なんとなく〈一万年愛す〉をタイトルにして書き始めたところ、わりと早い段階で頭に〈罪名、〉をつけようと思いついて。そうしたらいろんなことがピタッとハマっていきました」
このタイトル、ご自身でもなかなか気に入っている様子。
「ちょっと考えたのが、『罪名、〇〇』というシリーズがあって、その『〇〇』の部分が毎回何かの有名なフレーズだったら面白そう、ということ(笑)。たとえば映画『バグダット・カフェ』って、『コーリング・ユー』という曲が有名ですよね。もし『罪名、コーリング・ユー』という小説があったら、読んでみたくないですか(笑)」
では本作をシリーズ化するのかと訊くと、「いや、半分冗談ですから」。ということは、半分は「本気」なのかも? 期待してしまう。
吉田修一
よしだ・しゅういち●1968年、長崎県生まれ。97年「最後の息子」で文學界新人賞を受賞。2002年『パレード』で山本周五郎賞、「パーク・ライフ」で芥川賞、07年『悪人』で毎日出版文化賞と大佛次郎賞、10年『横道世之介』で柴田錬三郎賞、19年『国宝』で芸術選奨文部科学大臣賞、中央公論文芸賞、23年『ミス・サンシャイン』で島清恋愛文学賞受賞。