学生運動に参加していた闘士たちは何を思っていた? 当時の大学生の実態や熱狂を詳細に描き出す社会派文学『吉祥寺の真里亞 無党派全共闘幻想史』
PR 公開日:2024/10/31
東京大学が2025年度から授業料を値上げするという方針を巡り、今年9月18日に学生有志が安田講堂前で値上げ反対を訴える集会を開いた。学生たちは約2万7500筆分のオンライン署名と決定延期を求める要望書を提出したが、東京大学は同月24日、何事もなかったかのように授業料値上げを正式に発表した。こうした報道に触れ、かつて安田講堂を占拠して「大学解体」を訴えた学生運動の闘士たちは、どのような思いを抱いたのだろうか。
本作『吉祥寺の真里亞 無党派全共闘幻想史』(秋生騒/文芸社)の語り手である青年、黎(れい)もまた“闘争”に若き日々を捧げた闘士のひとりだった。特定の政治思想に染まっていたわけでもなく、ただ文学や哲学が好きなだけの青年だった黎が変わるきっかけになったのが、密かに思いを寄せていた同級生、真里亞の逮捕だった。黎が大学に入学してから1ヶ月も経たない春のある日、大学構内で左派学生が開催した「学費値上げ反対決起集会」に機動隊が突入、その混乱の最中に集会を見学していただけの真里亞が逮捕されてしまったのだ。学生に向かって催涙弾を打ち込む機動隊の横暴、大学自治の精神に反して機動隊の出動を依頼した大学側の卑劣さに黎は憤り、真里亞の逮捕に深い悔しさを覚える。
釈放されて大学に戻った真里亞は、逮捕が原因で大学から奨学金支給を止められたことを黎に打ち明ける。母子家庭に育った真里亞は母親にこれ以上の負担はかけられないとして、経済的問題の解決のために黎に同棲を持ちかけた。黎は真里亞の自分に対する想いを確認し、吉祥寺の街でふたりの同棲生活が始まる。真里亞との日々は黎に精神的な安らぎをもたらした。自分自身の思いを文字によって表現することを強く志向して短編小説を書き続ける黎と虚構の世界で虚構の自分を演じる演劇に没頭している真里亞は、方法と形式は違えど“表現”という行為を追求していくことで共に引かれ合い、結びつきを強くしていく。
黎と真里亞はどこにでもいるような普通の大学生だった。ふたりが令和の現代に生きていたならば、結婚を漠然と夢見ながら時にケンカをしたり、留年を心配しながら将来を語り合ったりする、ごく当たり前の恋人同士として穏やかな日々を送ることもできたのかもしれない。しかし、黎たちが大学生活を送っていた1960年代後半の“政治の季節”にあっては、多感な若者たちは社会や政治の問題と無関係ではいられなかった。たとえ政治に無関心であっても、ノンポリティカルを略した“ノンポリ”として分類され、その無関心さ自体がある種の政治的立場を示すものとみなされていた。そのような時代の中で、黎は大学における理念のない学問のあり方や教育機関としての腐敗に疑問を抱くようになっていく。さらにベトナムを攻撃する米軍の爆撃機が日本の沖縄から飛び立ち、そのジェット燃料が身近な新宿駅を経由して運ばれている事実を知り、黎は自分の無知を恥じ、それを許容している国や社会に対して怒りを覚える。黎の怒りは政治的なものではなく、不正や歪みを許せないという純粋な反発であり、その純粋さゆえに黎は学生運動に身を投じることになる。
この学生運動が激化した政治の季節を20歳前後で送った世代が、いわゆる“団塊の世代”だ。彼らがいったい何に駆り立てられていたのか、当時を知らない世代の人々には理解しにくいだろう。粒子の粗い過去のニュース映像に映る、ヘルメットをかぶって手ぬぐいで顔を隠し、ゲバ棒と呼ばれる長い角材を持って機動隊相手に暴れている姿を見て暴力的なイメージを持っている人も多いかもしれない。実際、当時から彼らはマスコミから“暴力学生”“過激派”などと呼ばれ、その非合法的な実力行使は社会を揺るがした。さらに1970年代に入って過激派の一部は活動をさらに先鋭化させ、それは最終的に“あさま山荘事件”のような凄惨で衝撃的な事件を引き起こすに至った。こうした一般に知られる“概要”は確かに現実の一面ではあるのだが、そこからは見えてこない多くの“個”の物語も存在する。黎のように青臭くも純粋な正義感を抱いた文学青年が、いかにして闘争に身を投じ、“無党派全共闘”を自認するに至ったのか。本作はその過程を追いながら、黎というひとりの闘士を通して、学生運動のリアルな実態、その隆盛と衰退を浮き彫りにしていく。時代の熱狂に巻き込まれつつも、個人として抱いていた信念や葛藤を本作は鮮明に描き出しているのだ。
黎が大学に入学した当時、学生運動を主導していたのは、“セクト”と呼ばれる党派的な学生組織だった。これらのセクトは、もともと日本共産党の影響下のもとに結成された“全日本学生自治会総連合(通称・全学連)”が、政治的路線や戦略の違いから分裂、細分化していったもので、それぞれが異なる思想や目的を掲げていた。各大学には有力なセクトが存在し、大学を拠点にしてさまざまな運動を展開していた。その一方で、セクトには属さないが大学の問題に対しては声を上げなくてはいけないと考える学生たちも増え始めており、そうした無党派層は“ノンセクト”と呼ばれるようになっていた。学生の圧倒的多数を占めていたのは前述の“ノンポリ”だが、少しずつノンセクトの学生たちがその存在感と影響を大きくする状況が生まれつつあった。
文学や哲学に傾倒していた黎は、個人的な観念と相反する組織の規範を従順に受け入れることができず、その葛藤に対する答えを求めていた。そんな黎にとって、権力や権威の不条理を変えていくための闘争はセクトのような組織によるものではなく、あくまで自らの意志によって行うべきものだった。黎のようにセクトに属さず、無党派でありながら闘争への道を選んで立ち上がった学生たちによって結成され、新たに学生運動の中心を占めるようになったのが、全国共闘会議、略して“全共闘”だった。全共闘の思想は共産主義革命や特定の政治的主張の実現を目指すようなものではなく、それぞれの学生が個人として、不正や腐敗を正し、真の学問を追究し、人間として生きる意味を明らかにしようとするものであり、それはまさに黎が追い求めていた理想だった。
無党派全共闘における闘争は、黎にとってアイデンティティの確立を求めるものであり、また自己の存在を証明するための“表現”でもあったといえる。しかし、全共闘闘争は敗北を喫する。黎はその理由を全共闘がセクトとの一体化を図ったことで自らの存在理由と独自性を否定してしまったからだと考える。そして、そこはもはや黎の居場所ではなく、彼の闘争もまた変質していったのである。黎は自らを“狐狼派全共闘”と称し、孤独な闘争を続けようとする。それは自分の観念と表現を守るための闘いだった。しかし、その死に場所を追い求めるかのような姿は、真里亞にとって表現者としての黎の敗北そのものだった。
著者はあとがきで“青春”という言葉があまり好きではないと述べている。それは、闘争に生きた団塊の世代には、瑞々しく、若々しい春の時代などありえなかったからだという。しかし、本作『吉祥寺の真里亞』は、ひとりの青年が自分自身を見つめ、理想と現実の相克の中で、そのあり方を模索していくという、まぎれもない青春を描く物語であり、その敗北の総括である。大学紛争の終焉から50年が過ぎ、黎は再び文章を紡ぎ出す。それは、自らが知る無党派全共闘の歴史を書き遺すためであり、また、言語表現がほとんど死に絶え、SNSのような“発信”だけが横行する欺瞞に満ちた社会に対して異議申し立てをするためであった。黎は老狼となってなお、全共闘であり続けるのである。
文=橋富政彦