待望の文庫化! 『ぼくイエ』ブレイディみかこ氏の初小説。イギリスの14歳少女と「カネコフミコ」がつながるとき、新しい世界へのドアが開く

文芸・カルチャー

PR 公開日:2024/11/6

両手にトカレフ"
両手にトカレフ』(ブレイディみかこ/ポプラ社)

 ベストセラーとなった『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)ほか、数多くの書籍を上梓している、イギリス在住のライター・コラムニストのブレイディみかこさん。彼女が伝える労働者階級&外国人という独自の「視点」から見えるイギリス社会の実情は、いつも私たちにたくさんの「気づき」をもたらしてくれている。そんなブレイディさんは小説も手がけており、このほど2022年に発表した長編小説『両手にトカレフ』(ポプラ社)が文庫化されることになった。イギリスの貧困家庭に生きる14歳の少女のサバイブを描く物語は、発表当時には「未来屋小説大賞」や「高校生が選ぶ掛川文学賞」にもノミネートされた注目作だ。

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 主人公のミアは依存症のシングルマザーの母と小学生の弟・チャーリーと公営住宅に住む14歳の少女だ。幼い頃からアルコール・男・ドラッグに依存する母に振り回されて家は困窮、満足にご飯も食べられない日々が続く中でも、小さな弟の世話をかかさないヤングケアラーでもある。そんなミアはある寒い冬の朝、いつものように図書館へ(適度に暖かい図書館は時間潰しに最適なのだ)。ガス代が値上がりしてからしばらくシャワーもあびていないため、自分の匂いを気にして閲覧室には入らずにオープンスペースで時間を過ごしていると、向かいに座る男性が読んでいた「青い本」が目に留まる。表紙に描かれた女性が自分の母親に似ていてドキっとしたミアは、男性がその本を置いていったのを見てすかさず手に取る。それは「カネコフミコ」の自伝だった。

「カネコフミコ」とは、大正時代のアナキスト、ニヒリストであり実在する日本人女性「金子文子」のことだ。パートナーである朝鮮人の無政府主義者・朴烈(パクヨル)と「不逞(ふてい)社」を結成、関東大震災直後に大逆罪で死刑宣告を受け獄中自殺した人物として知られるが、その生い立ちは壮絶なものだった。暴力・貧困・愛憎…醜態をさらす大人たちに虐げられ、無籍者として学校に通わせてもらえないこともあるなど、常に精神状態はギリギリ――そんなフミコの絶望は「青い本」を通じてミアのリアルと共振し、ミアにとってフミコは同級生の誰よりも「近い」存在として心の拠り所になっていく。

 実はミアは自分が抱える重い現実をなるべく周囲に悟られないように注意深く生きていた(なまじ福祉の手が入ると、「保護」の名のもとに小さな弟と離れ離れにさせられてしまう危険があるのだ)。安心して誰かに頼ることができない叫びは詩に託され、その声なき叫びが誰かに伝わったとき、人生が少しずつ変わり始める。言葉の強さに惹かれた同級生のウィルは「ラップのリリックを書いてほしい」とミアに頼み、彼女の言葉が「誰かに伝える言葉」になっていくのだ。

 タイトルの「両手にトカレフ」はミアが書いたラップのタイトルだ。どうしようもない獰猛な怒りと悲しみを全身で表出したとき、彼女の人生は新しい世界へとつながるドアを開ける。「ここではないどこか」を夢想するのではなく、いまいる場所から、諦めずに前に進むことで人生は変わる――シンプルだが大事な「原則」を、この本は思い出させてくれるに違いない。

文=荒井理恵

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