横浜流星主演で映画化『正体』。脱走した少年死刑囚は本当に“凶悪殺人犯”なのか?その“正体”に迫る一気読みサスペンス【書評】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2024/11/8

正体"
正体』(染井為人/光文社)

 一度貼られたレッテルは、そう簡単に剥がせるものではない。芸能人が不倫をすればいつまでもそのイメージがつきまとい、会社でミスをすれば「仕事ができない人」扱いされてなかなかその評価を覆せない。逆に「優等生」「いい人」とラベリングされれば、多少逸脱した行動を取っても看過されることもある。だが、こうした色眼鏡は、その人の本当の姿を見誤る危険性を秘めている。『正体』(染井為人/光文社)は、その危うさ、残酷さを胸元に突き付けてくる一冊だ。

 ある時、一家3人を惨殺した少年死刑囚・鏑木慶一が、刑務官を欺き脱走した。物語は、そんなニュースから幕を開ける。その後の章で描かれるのは、潜伏中の鏑木と関わった6人のエピソードだ。千葉の介護施設で働く社員。東京オリンピック会場の工事現場で肉体労働に励む元不良少年。渋谷のメディア企業に勤務する女性。痴漢冤罪ですべてを失い、長野のスキー旅館に流れ着いた弁護士。介護に追われながら、山形のパン工場で働く主婦。そして、また最初の介護施設へと場所を戻し、新人介護士・舞のほのかな恋心が語られていく。

advertisement

 6人が出会った鏑木は、名前も風貌も違う。共通するのは、自分の内側に立ち入らせない秘密めいた雰囲気。そして、困っている人がいれば放っておけない優しさと強さだ。同じ工事現場で働く仲間が不当な扱いを受けたら、交渉を買って出る。雪山でバイト仲間が遭難すれば、自分の身を危険に晒してでも命を救おうとする。鏑木と出会った人たちは、やがて彼の素性に勘づくが、世間をにぎわす“凶悪殺人犯”と目の前の男性が同一人物とはなかなか信じられない。鏑木は、本当にメディアが報じるような“悪人”なのか。自分が感じた優しさは嘘だったのか。そして、なぜ彼は拘置所から脱走し、各地を転々としているのか。ページを進めるにつれ、鏑木の“正体”が、浮き彫りにされていく。

 鏑木の計画はうまくいくのか、その過程はスリリングでサスペンスとしての読みごたえは十分。それと同時に、鏑木の潜伏先での暮らしぶりも大きな見どころになっている。工事現場の仲間から初めて友達と認められ、缶チューハイで乾杯する。同居した女性のために手料理を作り、一緒に海外ドラマを観て、心穏やかな日々を過ごす。なにげない日常が実に丁寧かつ魅力的に描かれ、だからこそ彼の置かれた理不尽な境遇に思いを寄せずにいられない。“凶悪殺人犯”というレッテルの向こう側に、鏑木慶一という人間が見えた時、彼を取り巻く人たちは“正体”を信じ切ることができるのか。その揺れる思いを自分に重ね、戸惑い、悩み、心をざわつかせながら、600ページを超える物語を一気に読んでしまった。

 11月29日には、この小説を原作とした映画『正体』が公開される。映画では横浜流星さんが鏑木を演じ、彼を追う警察側の視点も取り入れつつ鏑木の実像に迫っていく。映画ならではの切り口で原作の本質を照らし出しているので、ぜひ両方の世界に触れてほしい。

文=野本由起

あわせて読みたい