日常の延長線上の狂気を鮮やかに調理。日頃感じる不安や怒りを最大限引き出した短篇集『まず良識をみじん切りにします』【書評】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2024/11/22

まず良識をみじん切りにします"
まず良識をみじん切りにします』(浅倉秋成/光文社)

 『まず良識をみじん切りにします』(浅倉秋成/光文社)は、日常の延長線上にある狂気を鮮やかに調理した短編集だ。書籍の冒頭に「おいしい召し上がり方」が載っているので、しっかり目を通してから各作品を味わってほしい。ちなみにタイトルは、「おいしい召し上がり方」の最初の手順である。以下に書くのは、皆さまより一足先に本作をおいしくいただいた者のレビューだと思ってほしい。

 まず、5つの作品すべての構想が素晴らしかった。いずれもなじみ深いテーマを扱いながら、切りとる視点が新鮮だ。本書の始まりを飾る作品「そうだ、デスゲームを作ろう」が、まさにそうだ。ここ数年、デスゲームを扱う作品が流行している。参加者が次々死んでいく中で人間模様を描く物語の定型も確立されている。一方、本作はデスゲームのマスター側の心理や準備期間を描く。なぜ、わざわざデスゲームなんて手の込んだものを準備するのか。その経緯をたどるうちに、読者の良識はいつの間にか細かく刻まれていることだろう。

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 本書を読んでいると、良識はいとも簡単に壊れるものなのだと痛感する。きっかけはほんのささいなことかもしれない。2作目の「行列のできるクロワッサン」は、近所に新しくオープンしたブーランジェリーの行列をきっかけに、ある主婦の良識が壊れていく様子を描いている。展開は現実離れしているが、登場人物の心理状況には終始共感できる。似た状態に陥ったら確実に自分も……と想像せずにはいられない。

 3作目の「花嫁がもどらない」も、生々しく状況を想像できるからこそ特上の不安を味わえる逸品だ。私たちの日常を穏やかな状態に保つ良識が、いかに脆く不安定なものか。その事実がスパイスのように効いて、噛みしめるほどひたひたと恐怖が押し寄せる。

 4作目の「ファーストが裏切った」は、スポーツ雑誌の特集記事という特殊な形態で書かれている。読んでほしいので内容はふせるが、前半の野球試合の異様な熱量に圧倒され、後半のインタビューでひやりとする展開に鳥肌が立った。個人的には、この作品こそ本書のコアだと感じる。

 そして最後の「完全なる命名」は、他4作とは異なる余韻を与えてくれる作品で、一番好きだ。人間の良識を壊す要因を、さまざまな視点で捉えてきた一冊の最後にふさわしい。葛藤と不安の先にたどりつく答えに、一筋の光を見ることができる。

 私たちは互いになんとか良識を保ちながら、社会を成り立たせているのだろう。怒りや不安などの感情と、それに伴う不快感は、良識の均衡を崩すきっかけになる。私たちの日常生活においても、小さな不均衡、違和感はいくらでもある。そこに感じられる香りや味を極度に引きだしたらどうなるか。その実験結果が、この本である。想像だけでは足りないという方は、ぜひ読んでみてほしい。

文=宿木雪樹

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