北陸の雄・前田利家と息子の絆……日本の流れを作った父子の姿を描く歴史時代小説

文芸・カルチャー

PR 公開日:2024/12/11

 加賀百万石の礎を築いた藩祖・前田利家といえば、豪傑。「槍の又左」の異名で知られるほどの槍の名手であり、織田信長と豊臣秀吉というふたりの天下人の信を得た、武将の中の武将だ。そんな勇猛果敢な人物でも、息子との関係には苦慮していたのだろうか。

 『銀嶺のかなた(一) 利家と利長』『銀嶺のかなた(二) 新しい国』(安部龍太郎/文藝春秋)は、前田利家とその息子で加賀藩初代藩主となった息子・利長の姿を描いた歴史時代小説。直木賞受賞作『等伯』(文春文庫)で知られる安部龍太郎の野心作だ。ひとたびページをめくれば、そこは戦国時代。乱世を生きる者たちの葛藤があまりにも身近に、痛いほどひしひしと感じられてくる。

 ときは天正5年(1577年)。物語は、前田利家が、16歳になった息子・利長を引き連れて、上杉勢に占拠された松任城の様子を探りに物見(偵察)に訪れた場面から始まる。一向一揆の衆に襲われ、敵に組み敷かれた利長と、すぐその敵を槍で突き刺してそのまま遠くに投げ捨てて息子を救った利家。初陣だった利長は死にかけた恐怖にしばらく震え、そして、利家もまた利長が敵に組み敷かれた姿を思い出すと、思わず涙が込み上げてくる。——と、冒頭から、何だか、遠くに仰ぎ見ていた戦国武将がすぐ近くに感じる。勇ましい武将とはいえ、ひとりの人間。死を恐れるのも、親が子を思うのも当然のことなのだ。

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 息子を思い、前田家の跡継ぎとして雄々しく育ってもらいたいがため、利家は利長に厳しく接するが、豪胆な利家と温厚な利長は、ときとして激しくぶつかり合う。利長は戦国の世を生きるにはあまりにも優しい。たとえば、上杉勢との手取川の戦いの直前、船の徴発に応じない今湊の住民がなで斬りにされそうになれば、利長は「助けられるならば助けたい」と、土下座によってそれを止めようとし、利家はそんな息子を殴りつけた。乱世の最中、人の道を重んじようとする息子を不安に思うのは当然のことだが、利長は利家のやりかたに疑問を感じずにはいられない。やがて利家は信長から「能登一国を任せるゆえ励め」と領地を与えられ、能登一国をどう収めるかに腐心する。一方で、利長は信長の近習となり、さらに信長の娘・永姫を室に迎える。数々の難題に立ち向かうふたりのもとに、やがて信長の訃報が届けられ……。そして、激動の日々を過ごす中で利家と利長の親子関係は変わっていく。秀才肌の利長のことを利家は頼もしく思い始めるのだ。


 この本では、膨大な資料をもとにそんな利家と利長の日々を描き出していく。驚かされたのは、賤ケ岳の戦いの場面。賤ケ岳の戦いといえば、利家が敵前逃亡して柴田勝家を裏切り、柴田勢は総崩れになったというのが通説だが、「律義者のイメージが強い利家がなぜ」と疑問に感じてきた歴史好きは多いだろう。本書では、新資料をもとに新しい説を描き出す。「なるほど裏ではそんなことが起きていたのか」「だから利家は戦わなかったのか」と思わず納得。と同時に、十代の頃から信長のもとで同じ釜の飯を喰った仲の秀吉に仕えることになることに、利家はどれほど悔しい思いをしたことかと思わずにはいられなかった。

 ページをめくれば、戦国の世を生きる人々がいきいきと動き出す。利家・利長はもちろんのこと、ふたりの妻のまつ、永姫ら、女たちの姿も頼もしく、この時代は、誰もがそれぞれの信念を胸に日々戦い抜いていたのだという事実が胸を打つ。それに、前田利家・利長父子の決断が、ここまで日本の流れを決めていただなんて。ぶつかり合い、悩みながらも進んでいく親子の戦いの日々を、是非とも見届けてほしい。

文=アサトーミナミ

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