『52ヘルツのクジラたち』町田そのこが描く、息苦しさ、絶望、希望!小さな町で暮らす女性たちの人生が交錯する感動の連作短編集【書評】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2024/12/6

ドヴォルザークに染まるころ"
ドヴォルザークに染まるころ』(町田そのこ/光文社)

 夕方、世界を焼き落とすかのように燃える真っ赤な夕焼けのもと、どこからともなく、子どもたちに帰宅を促す、ドヴォルザークの「家路」の音楽が流れる。「遠き山に日は落ちて」の名でも知られるそのメロディを聴いていると、無性に切なくなるのはどうしてだろう。帰らなければならない。だけれども、帰りたくはない。「どうせだったら本当にこの世界がこのまま焼き尽くされてしまえばいいのに」なんて、そんなことを思ったことはないだろうか。。

ドヴォルザークに染まるころ』(町田そのこ/光文社)は、読む者をそんな途方もない夕暮れの日に連れ出してくれる連作短編集。『52ヘルツのクジラたち』(中央公論新社)で本屋大賞を受賞した町田そのこによる最新刊だ。『52ヘルツのクジラたち』を読んだ時にも感じたが、町田そのこという作家は、どうしてこんなにも人の痛みを巧みに描くことができるのだろう。そして、そこにどうしてこんなにも美しい希望が描けるのだろう。どこにも行けないような閉鎖的な田舎町、廃校間近の小学校で行われた秋祭り、今という時間にささやかな絶望と諦めを感じている人々。現在、過去、そして、未来も入り混じり、それぞれの人生が交錯していくさまは、私たちの心を揺さぶってくる。

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 たとえば、第1話「ドヴォルザークの檻より」は、こんな衝撃の一文から始まる。

「担任の先生のセックスを見たことがある。」

 主人公・類は、小学6年生の時に見たその光景を36歳になった今でも忘れることができない。新婚だった若い担任の群先生と、町の外からやってきた絵描きの男。息子の母親会で秋祭りの準備をしていた時、類はその光景をともに目撃した玄と再会する。あの日、群先生は絵描きとともにそのまま姿を消し、やがて小さな町は駆け落ちだと大騒ぎになった。今では人気作家になった玄は、どこかあの絵描きに似ているように思えて、類は目が離せなくなる。

 九州にあるというこの物語の舞台、かなた町はなんとも息苦しい。男尊女卑は当たり前。古い凝り固まった考えが残っていて、どうでもいいようなことでも、女は男を立てねば角が立つ。小学校でさえ全校生徒は30人ほど、それも廃校になるほどの小さな町だから、どんなことでも何か問題が起きれば、噂は瞬く間に広がる。互いが互いを監視し合っている檻のようなこの町から、生まれてから出たことがない類は、絵描きとともに出て行った群先生のことが羨ましくてたまらない。その閉塞感を知れば知るほど、この町からふと逃げ出したくなる気持ちは苦しいほど分かる。

 類の夫の元浮気相手で、東京でバツイチ子持ちの恋人との関係に寂しさを覚えてこの町を訪れた千沙。廃校になるこの小学校で先生をしていた認知症の義母に夫とのセックスレスの悩みを打ち明ける佳代子。父と離婚した母が迎えに来て、まもなく転校することになる小6の麦。発達障害のある娘を一人で育てるシングルマザー・三好。——この物語に登場する人たちは、誰もが苦しい。息苦しさ、絶望が、痛いほど胸に迫ってくる。どうして私たちは思い通りの人生を歩めないのだろう。今という時間から、この場所からどうやって抜け出せばいいのだろう。

 だけれども、逃げ出せばいいというわけではない。それだけでは、絶対に幸せにはなれない。引きずったままの過去を振り返ることで、女たちは、今を見つめ、未来を見つめる。読後感は爽快で、まるで、秋の心地よい風が駆け抜けていくかのよう。小さな町でそれぞれの人生を懸命に生き抜く女性たちに、彼女たちが見つけ出した希望に、きっとあなたも勇気づけられるだろう。

文=アサトーミナミ

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