『いなくなれ、群青』の河野裕が描く「家族」と「謎の怪物」――あらゆるものを盗み出し「なかったこと」にする怪物を通して「SNS社会」を問う

文芸・カルチャー

PR 公開日:2024/12/6

君の名前の横顔
君の名前の横顔(ポプラ文庫)』(河野裕/ポプラ社)

昂揚した議論のたまもの。それは感情的に正しいものを求め、他のすべてを拒絶し、世界を欠落させていく

 河野裕氏による長編小説『君の名前の横顔』(ポプラ社)の一節である。本書は現実に即した世界観でありながら、ファンタジー要素も含む。正義を隠れ蓑にして振り上げた拳が、容赦なく誰かを殴りつける。その裏側で、何かがぽろぽろと欠けていく。本書に出会ったのは、そんな光景に辟易していた折だった。

advertisement

 物語に登場する主な人物は、シングルマザーの三好愛、息子の冬明と楓、楓の同級生である有住の4人。冬明は愛の実子で、楓は再婚相手だった牧野英哉の息子だ。英哉は、冬明が幼い頃にこの世を去った。死因は自殺で、SNSの誹謗中傷が原因だった。後に残された愛は、息子たちを守るために名字を旧姓に戻した。楓にも変えるよう勧めたが、楓は父の名字のまま、牧野を名乗っている。

 愛と楓の仲は、決して悪くない。むしろ互いを信頼し、必要に応じて支え合っている。楓はすでに20歳の大学生で、冬明は小学5年生という年の差から、愛の仕事の状況によって楓が冬明の面倒を見ることもある。それは強制されたものではなく、楓本人の意思によるものだ。楓は愛と同様、冬明のことを信頼し、大切に思っている。だが、楓は冬明を「弟」ではなく「友達」と呼ぶ。信頼し、好ましく思う一方で、楓はどこかで2人と距離を取っている。

 英哉の死後、仕事と子育てに追われる日々を過ごす愛には、ある悩みがあった。それは、冬明が時折口にする「ジャバウォック」の存在だった。ジャバウォックは、突如現れて無作為に物を盗んでいく。ある時は絵の具を、ある時は名前を、ある時は存在そのものを。

 例えば絵の具を盗まれた場合、絵の具入れの形式ごと変わる。12色入りだったはずの絵の具箱が、11色入りになる。周囲は誰もその変化に気づかない。気づくのは冬明だけだ。

 息子からジャバウォックの話を聞くたび、愛は心許ない気持ちになる。現実離れした化け物の話を本当のことのように語られるのだから、不安になるのは当然であろう。だが、ジャバウォックの存在を知る者は、冬明だけではなかった。有住は、下の名前をジャバウォックに盗まれていた。数年ぶりに有住と再会した楓は、ジャバウォックの正体を本格的に探りはじめる。しかし、その矢先、不可思議で不条理な日常の狭間において、愛は大切なものをジャバウォックに盗まれてしまう。

「ジャバウォックっていうのは、コウヨウしたギロンのタマモノなんだよ」

 有住からの受け売りを楓に伝える冬明の言葉だ。「昂揚した議論のたまもの」。その化け物の存在を、私たちは常日頃、間近で感じている。感じていないふりをしながら、“自分だけは違う”と無邪気に信じながら、それでもどうしても無視できず、心のどこかで存在を認知している。

「常識」というレッテル、「正義」と名付けられた暴力、人々の「昂揚」が生み出す狂気。本書におけるジャバウォックの姿に何を見るかは、読者により異なるだろう。少なくとも私は、“空想上の生き物”だと流すことができなかった。連日のように起こるSNSの炎上、通報しても一向に減らない誹謗中傷、最悪の場合、その先で人が死ぬ。亡くなったのが著名人なら、大きな事件としてニュースで報道される。だが、一般人がSNSの誹謗中傷で自死を選んだ場合、明確な遺書でもない限り、報道さえもされない。ジャバウォックは、人間が「不要だ」と切り捨てたものだけを盗んでいく。議論が昂揚すればするほど、表層に見えているもの以外は「なかったこと」になる。ジャバウォックが盗み出した時のように、最初から何もなかったみたいに。

 ジャバウォックに奪われ続ける日々において、一筋の光となる一文がある。

初めから手の中にあったひとつがどれほど憎くて、壊れてしまっていたとしても、その次を求めちゃいけないってわけじゃない

 楓がなぜ冬明を「友達」と呼ぶのか、愛と「母親」として接することなく一線を引くのか。その根源にある“家族”に対する葛藤に楓が向き合う時、冬明と愛との関係にも変化が起こる。家族はかけがえのないものだが、時に血のつながりは人を縛る。家族は「いるもの」ではなく、「なるもの」だ。血縁だけがすべてではない。楓が取り戻したもの、冬明がついた優しい嘘、愛が貫いた信念、有住が向き合った罪。それぞれの大切なものを胸に抱くことこそが、ジャバウォックを遠ざける唯一の手段なのかもしれない。

文=碧月はる

あわせて読みたい