白尾悠「親友や恋人にならなくても『いい隣人』にはなれる」。孤立を防ぎ、手を貸し合う隣人たちの物語に託した願い【インタビュー】
PR 公開日:2024/12/6
人間関係が希薄になりがちな現代、北欧発祥の新たな住まいの形が少しずつ広がっている。各部屋に水回りが完備され、独立した「個」を保てると同時に、大型のキッチンとランドリールーム、リビングが開放的な空気をもたらす。そんなコミュニティ型マンション「ココ・アパートメント」を舞台とした連作短編集『隣人のうたはうるさくて、ときどきやさしい』(白尾悠/双葉社)が、2024年11月に刊行された。
著者の白尾悠さんは、2017年「アクロス・ザ・ユニバース」で「女による女のためのR‐18文学賞」大賞と読者賞をW受賞。その後、受賞作を収録した『いまは、空しか見えない』をはじめとして、『サード・キッチン』『ゴールドサンセット』を発表している。本書執筆の経緯、さまざまな家族の形を描く上で大切にしたこと、一貫して作品に込める揺るぎない祈りについてうかがった。
母が住むコレクティブハウスを物語のモデルに
――『隣人のうたはうるさくて、ときどきやさしい』は、シェアハウスに近い形態でありながらも、シェアハウスより個々の独立を保てる「コミュニティ型マンション」が舞台となっています。本書を執筆したきっかけについて教えてください。
白尾悠(以下、白尾):実は、私の母がコレクティブハウスに住んでいるんです。スウェーデンやデンマークなどの北欧から広がったライフスタイルで、多世代の住人が協働生活を送り、NPO法人が運営しています。母はその暮らし方にずっと憧れがあったようで、コロナ禍に実家じまいをしたのを機に入居を決めました。
――では、お母さまの実体験にもとづいているのですね。
白尾:はい。母の住まいは小説の中のものよりは小規模で形態も少し違うんですけど、暮らしぶりを聞いていて興味を抱きました。母は、同じハウス内に住む方と実際に友達になっていて、しかも私と同世代の海外の方なんです。まるで第2の人生がはじまったかのように楽しんでいる母の様子を編集さんにお話ししたところ、じゃあその話を書いてみようということになりました。
――既刊の『ゴールドサンセット』も、お母さまの俳優活動が着想のきっかけとうかがっています。共に暮らす住民の方々にも、お話を聞く機会はあったのでしょうか。
白尾:本当に、すごくネタになる母なんです(笑)。身近にネタ元がいると、いろいろ話が聞けるんですよね。小説を書くにあたり、母とは違うコレクティブハウスに住んでいる方々、ハウスを運営しているNPO法人の方にもお話をうかがいました。
――ご近所付き合いの程度は人によると思うのですが、白尾さんご自身は隣人とかかわっていきたい気持ちはありますか。
白尾:今までは正直、とんでもない!と思っていました。やっぱり女性の一人暮らしで怖い事件もありますし、警戒心のほうが強くて。ただ同時に、東日本大震災やコロナ禍があったとき、改めて隣人の名前も顔も知らないな、それって結構不自然だなと気付いたんです。その経験を機に、少し意識が変わりました。今住んでいる場所では少しだけお話しする高齢者の方がいて、何かあればお手伝いできたらいいなと思っています。
当たり前に「いる」人たちの声がかき消されていた時代
――本書には、さまざまな隣人が登場します。世代もジェンダーも家族構成もバラバラな隣人たちの中で、白尾さんが最も共感する人物を教えてください。
白尾:私は属性でいえば、甥っ子(兄「義徳」の息子)の育児を時々担う由美子さんに一番近いんです。結婚もしていませんし、子供もいない一人暮らしなので。ただ心情としては、大家の勲男さんや単身世帯の康子さんに近いのかなと思います。
物語の中の勲男さんの台詞で、「子供にとって安心できる場所はいくつあってもいい。私のようなジジイがよその子供のためにできることは、せいぜいそういう場所を増やしたり、守ったりすることくらいなんだよねぇ」というのがあるんですけど、本当にその通りだなと感じていて。属性とか関係なく、何か自分にもできることがあるといいな、と。願わくは、勲男さんぐらいお金があればできることも増えるのですが。
――ハウスの隣に住む大家の勲男さんが、自宅の庭で住民の子供たちと交流するエピソードが印象的でした。勲男さんの台詞にもある通り、「ココ・アパートメント」という場所は、子供の安全が守られる場所になっていると感じます。
白尾:本当にそう思います。結果、大人の心理的安全も守られる場所になっているんですよね。その場で最も力が弱い存在に対して優しい場所にするということは、結果的にみんなにとって優しい場づくりにつながりますから。
――『ゴールドサンセット』のインタビュー記事の中で、「声が小さくなってしまう人を書く」という一言がありました。その感覚が、今作の中にも生かされているのでしょうか。
白尾:そうですね。やっぱり書いていてそうなってしまう自分がいて、むしろそうありたいというか。せっかく書く機会をいただけるのであれば、声が小さくなってしまう人の思いを拾いたいです。声が大きい人の言葉はみんなすでに聞こえているし、届きやすいので、わざわざ小説にする必要はないかな、と。
――高齢ながらパワフルで、暮らしの知恵にあふれた康子さんのキャラクターが魅力的でした。物語の最後に康子さんの過去が明かされますが、康子さんが若かりし頃の昭和から現代への時代変容が緻密に描かれています。ここ十数年の時代の変化について、白尾さんはどのように感じますか。
白尾:康子さんはマイノリティ女性として、昭和という時代だけではなく、地方の貧しく保守的な農村部の生まれということも重なり、ずっと声を消されていたキャラクターです。私はアメリカの大学出身で、向こうでは当時からセクシュアルマイノリティの存在は当然という認識だったので、日本の“隠されている”感じにずっと違和感を抱いていて。現代は、LGBTQ+が「当たり前にいる」ことがようやく認知されるようになったものの、まだまだ偏見も多く、社会や法律の上で変わっていかなければならない点が多いと感じます。