累計2000万部に迫る大ヒットシリーズ『居眠り磐音 江戸双紙』ついに完結! 佐伯泰英スペシャルインタビュー
公開日:2016/1/6
ついに完結!
第50巻・第51巻
2016年1月4日2冊同時発売
さえき・やすひで●1942年、福岡県生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒。スペインの闘牛をテーマにした作品を発表後、99年に『密命』を発表して時代小説に転向。『吉原裏同心』『鎌倉河岸捕物控』などシリーズ多数。
スタートは悲劇だった
『居眠り磐音 江戸双紙』がスタートした2002年は、ぼくが時代小説に転向して4年目。佐伯泰英の時代小説というものが少しわかってきて、ストーリーに緩急をつけるコツみたいなものも飲み込んだ時期でした。最初に書いた時代小説『密命』では、やや力が入りすぎていました。力を抜くべきところを抜いていない(笑)。だから、『完本 密命』というタイトルで手直しを進めているところなんです。
『居眠り磐音』をはじめる頃には、ここはゆっくり、ここは力を入れる、といった調子でバランスよく書けるようになっていました。
第1巻の「陽炎ノ辻」の冒頭部分は、短編小説として書いたものです。
九州の小藩・豊後関前藩に幼馴染みの3人の若者がいて、改革の志を抱いて江戸から国許に帰ってくる。ところが、守旧派の奸計にかかって3人が斬り合い、ただひとり生き残った坂崎磐音は一夜にして友情も恋も失ってしまう。
このまま悲劇で終わらせてしまうのは切ないと思っていた矢先に、双葉社さんから文庫書き下ろしで新シリーズを、という声がかかったわけです。
冒頭が悲劇から始まったので、そのあとはつらい物語にはしたくなかった。一度すべてを失った人間がどうやって立ち直り、穏やかに世の中に復帰していくのかという時の流れを描こうとしたんです。
ゆえに磐音を旅立たせました。許婚であり、死なせてしまった親友の妹でもあった奈緒を追って日本中を転々とする……それは過去を追う旅です。やがて、江戸にたどり着いた磐音は、奈緒が吉原の花魁になることを知るんです。このシーンを書いたときに、あとはこのまま磐音を自由に動かせばいいと思ったのです。
いろいろ計算しないで、磐音と一緒に同行二人でいけばいい。磐音の考えることや行動は自分のことのようにわかっているわけで、大仰な言い方をすれば、磐音と15年間旅を続けてきたということなんでしょうね。
ただ不思議なことに、51巻書き終えた瞬間の感慨というものはなかったんですよ。あっさりとしたもんで、パソコンを前に「これで終わりね」というくらい。ただ、出版社から届いた初校を見ていたら、「ああ、旅が終わったんだ」とようやく感慨らしいものが出てきました。それをどう受け止めたものか、自分自身よくわからなくて困っています。
三代に読み継がれる小説
『居眠り磐音』がこんなにヒットするとは僕自身考えてもみなかったことです。なにしろ第1巻の初版は2万5000部で、5000部単位で増刷されていたような状態です。それが、累計1900万部を超えて、来年には2000万部になる。これは、全国の書店さんや読者のおかげというしかありません。
2007年に、山本耕史さん主演でNHKの木曜ドラマになったというのが一番大きな効果があったのかもしれません。僕自身は、小説は小説、ドラマはドラマと割り切っていますが、ドラマになった途端に山本耕史さんのファンの若い女性が小説を買ってくださるようになって、テレビの影響力にびっくりしたのを覚えています。
ラジオや雑誌でいろいろな方が紹介してくださったのも大きかったと思います。
それまで時代小説というジャンルを支えてこられた池波正太郎さんや藤沢周平さんがお亡くなりになって、新しい書き手が求められていたということもあったのでしょう。
僕が時代小説を書き始めた頃は、バブルが弾けて世の中全体が、優しさや安らぎのようなものを求めていました。時代小説にそれらが求められたんだと思います。
僕は、時代小説を書くときに、人物描写とか情景描写以前に、読んでいる時間を楽しんでもらって、その間はしばし現実を忘れてもらえるような作品を、確実に市場に出していこうと考えていました。
剣戟シーンも、僕の場合は全然リアルじゃないんです。歌舞伎や時代劇映画の殺陣と同じです。つまり、竹光のチャンバラです。でも、リアルを追求するよりも、楽しんでもらいたい。そうすると、真剣で斬り合うよりも、竹光のほうがいいような気がするんです。
そんな書き手の気持ちを読者の方たちは受け止めてくれたんだと思います。
時代小説に転向する前、ある編集者から「この先、佐伯さんが作家として食べていけるとしたら、官能小説か、時代小説しかないですよ」と言われたことがあります。女性を描くのは苦手なんで時代小説を選んだのですが、僕にとっての理想は親子三代で読んでもらえるような小説。いま実際にそういう読み方をしてもらっているわけですね。官能小説だと親から子に読み継がれることもなかったかもしれません(笑)。
今では、さまざまな世代のファンが、15年間磐音と旅をしてきた、と考えていただいているようです。
年配の方たちは、磐音が27歳の時からずっと読み続けて、自分の息子の成長を見るように、いい時も辛い時もともに過ごしてこられたのでしょう。磐音と一緒に笑ったり涙を流したりしながら旅を続けてきたと感じておられる方も多いようです。
最近は、「家族の介護をしながら読んでいます」とか、「亡くなった主人がファンで、最新刊を柩に納めました」というお手紙も増えています。辛いことですけど、ある意味で作家冥利に尽きます。
親から子へ読み継いでいる中には、14歳くらいから読み始めて、今20代後半という女性ファンもいます。お父さんが読んでいらして、うちに持ち帰ったのを読んだのでしょうね。ありがたいのですが、青春の一番いい時期を磐音と旅していて良かったのかなあ、と思うとちょっと複雑です(笑)。
磐音の生き方は僕と正反対
10代将軍・徳川家治の時代の江戸を舞台にしたのも良かったのでしょう。地方から人が流れ込んで人口が増え、町人文化が花咲いた時代です。長い太平の世を経て武士の存在意義が薄れて、商人が力をつけていた。浪人となり、江戸・深川六間堀の金兵衛長屋に住み着いたばかりの磐音は、うなぎ割きのアルバイトで暮らしを立てますが、この頃の浪人はいろいろな内職で生計を立てていたんです。
一方で、江戸にある600軒の両替商を束ねる今津屋さんのような豪商には幕府もうかつに手を出せない。
関前藩の財政再建のために、磐音が父の坂崎正睦を助けて、江戸との交易を強化します。もちろんフィクションなんだけど、そういうことが実際にあったのかもしれない時代です。
磐音が暮らす深川六間堀や小梅村のロケーションもいいんですよ。心理的には政治の中心の江戸から距離を置くことができて、地理的には近い。目の前に川があることが大きいんです。
僕は磐音を何度か江戸から旅に出しています。すると、読者の方からは「早く江戸に戻してくれ」というお手紙をいただく。田沼意次の刺客に追われ、尾張、紀州と数巻にわたる逃避行を経て、ようやく江戸に帰って郊外の小梅村に尚武館坂崎道場を再建した時には、みなさん我が事のように喜んでくださいました。
東京に出張に来て、「『居眠り磐音』を片手に、江戸巡りをする」という方も多いんです。
年間3冊から4冊のペースで書いてきて、自分でもおどろくほど登場人物が増えてしまいました。
坂崎磐音という人物は太陽のような存在で、その魅力に触れた人はみな彼のそばにいたいと考える。その結果、旅に出れば新しい人脈が生まれていくし、小梅村の尚武館坂崎道場にもどんどん門弟が集まってくる。みんな磐音を父とした家族のような存在になっていきます。
この生き方は僕と正反対なんですよ(笑)。出版社との付き合いも仕事上はちゃんとしますけど、パーティがあっても行きません。熱海の仕事場で一日中スケジュール通りに仕事をして、それで満足なんです。
そういう日常の中から主人公の人物像を作り上げていくと、孤独とか孤立といったものになるかもしれない。だけど、僕は逆なんです。主人公には自分にないものを求める。磐音には一人また一人と交流をつくりながら世界を広げていくような生き方をさせたいと思ったんです。
もうひとつは、今の世の中が忘れかけている「父性」というものを描きたかったんです。
磐音を中心に男たちを描き、そのまわりの女たちを描くことで、磐音を父親とした家族の姿が描けるんじゃないか、と考えたわけです。
登場人物が増えたおかげで、読者それぞれにお気に入りの登場人物ができました。ファンレターの中にも「自分は誰誰が好き」とか「誰それは最近出てこないので出してほしい」というのが必ずあります。
女性陣の中で一番人気はヒロインのおこんなんだけど、私にとって特別な存在は、磐音の許婚だった奈緒です。彼女の流転については読者の方たちから、「佐伯はどうして奈緒さんばかり不幸にするのか」というお叱りを受けることもあるんですけど、「陽炎ノ辻」の悲劇の部分を一番引きずって、このシリーズ全体の切なさを体現しているのが彼女なんです。
読者の間でも、奈緒にはおこんと変わらぬくらいの人気がある。それは、いろんな苦難に耐えてきた彼女の生き方に共感できる部分が多いからなんだと思います。
終わりは物語が教えてくれる
この作品を50巻で完結させようと意識し始めたのは7年くらい前。累計700万部をこえたあたりです。それまでも、「50巻完結」とは言っていましたが、それは自分自身を鼓舞するためで、実際にそこまでいくとは想定していなかったんです。
ところが、磐音が尚武館佐々木道場に養子に入り、徳川家基の剣道指南役として幕政との関わりを持ちはじめた。家基と対立軸にある田沼意次とのバトルも本格化してきたことで、50巻まで行かなければならないという気持ちになってきたんです。
ここまで一緒に歩いてきてくださった読者のみなさんのためでもあるし、この先も50巻までなら一緒に歩いていけるかもしれない、と考えられるようになっていました。
それが確信に変わったのは、家基が鷹狩りの帰途暗殺されて、磐音の師匠であり養父でもあった佐々木玲圓とおえいの夫婦が殉死、佐々木道場が意次によって閉門させられる「更衣ノ鷹」を書き上げたときです。
このエピソードももちろんフィクションですが、家基は実在した人物で、将軍家治の世子でした。あの時、死ぬのは歴史的事実です。ところが、家基と寄り添いながら読んでこられたファンもいらっしゃるから、殺すのはしのびないわけです。
「更衣ノ鷹」は珍しく上下2巻に分かれていて、上巻を書き上げてから僕はイタリア旅行に行きました。少し作品から離れて次を考えることができたのもよかったのだと思います。意次の刺客に追われ、江戸を離れた磐音が流浪の末、再び江戸に戻り強大な敵・意次と暗闘を繰り返す、という後半の構成も頭の中にほぼできあがりました。
シリーズものの時代小説は区切りをつけるタイミングがとても大切です。家基が暗殺されたところもひとつのタイミングです。しかし、それでは後味が悪い。意次の失脚のあとまで書こうとすると50巻かな……という読みもあったんです。物語が「ここらで終わり」を伝えてくれるんですね。
ただ、僕は全体の構成を計算して書くわけではなく、情景から書き進めていくので、ぎりぎりになって50巻では納まらないことがわかってきた。磐音にも解決しなければいけない問題が残っています。
そんなわけで、51巻で完結になってしまったんです。切りが悪いのはお許しいただいて、最後まで磐音との旅を楽しんでいただければと思います。
取材・文=中野晴行 写真=鈴木慶子