「事典」はツイッターと同じ? サクッと知的好奇心を満たすツール
更新日:2017/11/16
今や大抵のことはネットで調べがつくので、事典や辞書を引く代わりに、ウィキペディアやグーグルを検索することは多い。何せ「グーグル先生」は博学だし、無料百科事典のウィキペディアは日々更新されている。それにネットの情報はスマホで見れば手のひらサイズだ。それに比べると、紙の事典は大きかったり重かったりして、どうも使い勝手が悪い。
ただし、言うまでもないことだが、ネットの情報はもちろんのこと、ウィキペディアは鵜呑みにしてはいけない。誰でも加筆修正できるため、元の出典が信頼できるソースかよく確認する必要があるし、間違いや偏った編集も少なからずあるからだ。その点、出版された事典や辞書、図鑑などは、専門家や作り手が入念にチェックした末に世に出されるので、信頼度はずっと高い。
そのうえ、これら「事典」は調べ物の頼りになるだけでなく、読み物としても読みやすく面白いのだ。どこから読んでもいいし、項目ごとに短く完結していて、サクッと読める。そうした「事典」の魅力を豊かな視点とともに紹介しているのが、成毛眞氏が著した『教養は「事典」で磨け』(光文社)。多数の読書本を出版する本のエキスパートでもある成毛氏は、「事典」こそ、最高の教養本と読むことを薦める。
疲れているときこそ事典。読書のウォームアップにもなり自然と教養がつくように
事典はどこからでも好きなように読んでいいのだ。そこには主義や主張といったカラーはなく、事実が並べられているのみ。だからこそ、疲れた時 に読むのにもいいのだという。同氏のたとえ はわかりやすく面白いうえ、経験から語られる“効果”も目を見張るものがある。
忙しかったり眠かったりすると、読書は思うように進まない。この理由は直接的には、長い文章に頭がついていかないということだ。こういうときでも、短い文章ならさらさらと読める。疲れた胃が脂っこいものを受け付けなくても、お茶漬けなら食べられるのに近い。
(中略)
言ってみれば一般の書籍は長文のブログで、事典はツイッターである。構えずに眺めていればするすると中身が頭に入ってきて、そして出て行く。この循環は案外と快適で、繰り返しているうちにその内容を覚えてしまうこともある。これが教養となって頭の中に蓄積されていくのである。
また、小刻みな知のインプットが刺激となって、元気がでてくることもある。本を読む気力が失われていると感じたら、事典を読むことでウォーミングアップをするのもひとつの手だ。
細切れの時間にツイッターで情報収集をしている人なら、そうした時間に事典を眺めれば、脳もリフレッシュして、教養が高められそうだ。
インテリアにも最適。読む「事典」の活用法
大きさや重さの問題をクリアした事典もたくさんある。新書や文庫本サイズの事典も数多く出版されているからだ。成毛氏は、ちくま学芸文庫や講談社学術文庫はじめ、様々な事典をリストアップして紹介。『雨のことば辞典』『江戸語の辞典』等々、小型版ならではかもしれない、相当に限定的なテーマの事典がたくさんあることに驚かされる。
一方、大きくて重い図鑑のような事典も、大きくて重いからこその楽しみ方があると説く。大判の図鑑は、どれも美しくデザインされているもの。置く場所がないなら、作ればいい。同氏が薦めるのは、コーヒーテーブルの設置。ソファの横にあると便利な小ぶりなテーブルのことで、ここに図鑑を置きっぱなし開きっぱなしにするのだ。
ホテルのラウンジなどで写真集が積まれているように、美しく装丁された図鑑を置いておく。開いたページは自然と目と頭に入るだけでなく、この時は図鑑も本というより、インテリアで絵画になるから。ダイニングテーブルに飾る花と同じで、図鑑や開くページを替えると、飽きもこないと薦めている。
図鑑を“飾る”とは思いも寄らなかった。早速、ソファの隣にコーヒーテーブルを用意して、本棚に立てかけてある事典を“インテリア”として活用し、日常的にパラパラとめくるクセをつけようと思う。
文=松山ようこ