「おひとりさま」は社会とどう折り合いをつける? 民俗学の視点からご案内
公開日:2016/1/17
民俗学と聞くと「昔の村や地方の風習などを研究する学問」だと思う人も多いかもしれません。確かにそれはそうなのですが、それは民俗学の一部分に過ぎないのです。昔の村・地方の風習などと聞いて、身近に感じる人は少ないでしょう。しかし、この学問はそれだけではありません。神社仏閣で売っているお守りの意味など、日常の小さなハテナの答えや、他にも「おひとりさま」など、現代社会において身近な問題に切り込む力を持っているのです。民俗学を、現代社会の問題に対する切り口として活用したのが『知って役立つ民俗学』(福田アジオ/ミネルヴァ書房)です。ここでは、昨今話題に上る「おひとりさま」について紹介します。
最近「おひとりさま」というワードを目にする事が多くなりました。これは、本来は単身者を示す言葉として使われるものです。が、同時に時代の流れによって「夫婦と子供が居る一般的な家族形態」が無条件には通じなくなってきている事から「家族を持つ事を前提としない新たなライフスタイルが求められているのだ」という主張も、この言葉には込められているといいます。そもそも「おひとりさま」が注目されたのは、近年の晩婚化・非婚化が目立ち始めたからです。特に、非婚(独身)を選んだ人は、どうあっても将来的に「おひとりさま」問題に直面する事になります。
ところで、ここで疑問が浮かびます。その疑問とは、何故「おひとりさま」は問題なのか、という事です。本来、個人のライフスタイルは自由なものであり、経済的に自立した後の生活には親ですら必要以上の口出し・干渉をする権利はありません。もちろん、老後問題、死後問題など様々な課題がある事は事実ですが、世間が「おひとりさま」を見る時、大抵はそういう現実的問題ではなく、むしろ心情的問題として取り扱っているのではないでしょうか。つまり「老後が大変だ」「お墓はどうしようか」という問題意識ではなく「ひとりにはなりたくない」「結婚できないのは嫌だ」といった感情で捉えているのではないか、という事です。
この理由を民俗学では「家庭を持つ=一人前」という意識がいまだに根強く残っているからだと考えます。かつての村社会において、家庭を持つ事、子を儲ける事は義務といってもいいほどの強制力をもって人々に求められていました。家庭や子を持つ事が叶わなかった人達は周囲から「一代オジ」「永代オバ」「イエナシ」などと呼ばれ、時には村八分の対象にもされました。つまり、共同体(村)の仲間として認められなかったわけです。
もちろん、現代においては既婚・未婚の差を一人前・半人前の区別に繋げる事はできません。しかし、その一方でいまだに残る「家庭を持つ=一人前」という意識がぶつかり合うため「おひとりさま」は色々な意味で注目される事となるのです。では、現代が生んだ「おひとりさま」は、どのように社会と折り合いを付けていけばいいのか? その一例として、本書内では一部の寺院が始めた共同形式の永代供養墓が紹介されています。これは、この墓を購入した人同士で交流を持ち、死後問題に対応するというものです。これは、現代の社会状況が生み出した新たな「縁」ともいえます。この例にもあるように、少なくとも「家庭を持つ事」以外で、社会や人と繋がっていく事が求められていると本書では書かれています。
文=柚兎