残業は「会社へのおもてなし」、低賃金は「控えめな自分へのじらしプレイ」……!? 社畜として生きることも、実はそんなに悪くないのかも

ビジネス

公開日:2016/1/25


『社畜人ヤブー』(那智泉見/PHP研究所)

 あなたは自分のことを「社畜」だと思いますか? サービス残業に休日出勤、上司の無茶ブリ、出口の見えない仕事量。はい、私は社畜です。PCの向こう側で、そう咽び泣く人たちの姿が目に浮かぶようだ……。ネット界隈では、そんな人たちのことを「社畜乙」と蔑み、憐れむ風潮がある。そりゃ、プライベートな時間を犠牲にしてまで働くことが正しいとは言えないかもしれない。しかし、だからといって、会社に身を捧げるような働き方をバカにしていいものなのだろうか。

 『社畜人ヤブー』(那智泉見/PHP研究所)は、そんな社畜の生き様を描いたマンガ。かの奇作小説をパロったタイトルから察するに、なんだかふざけた感じ……?と思われるかもしれないが、意外や意外、本作は働くことの意義を問う名作なのである。

 本作の主人公となるのは、株式会社アドブラックスに第二新卒で入社したばかりの倉良優一。そして、その上司となるのが、営業部課長の薮隣一郎。彼こそが、倉良に社畜のなんたるかを教えこむ、社畜人なのだ。

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 薮の信条は、会社のために社畜であること。彼からすると、残業は「会社へのおもてなし」、クレームは「お客様からのラブコール」、低賃金は「控えめな自分へのじらしプレイ」。無表情で「さあ、骨になるまで働きましょう!」と宣う姿に、思わずポカーンである。

 では、薮の働き方から学べることがまったくないのかというと、そうとは言い切れない。薮は「歯車になれ」と言うが、これは、「組織のなかでうまく機能するようになれ」ということ。社会人になりたての頃はとくに、「オレ流」を貫きたがる人が多いが、仕事のことをなにも知らない段階でそれを貫けば、ただのジコチューになってしまう可能性が高い。自分らしさにこだわる前に、まずは大勢のなかのひとりとして働くということはどういうことなのかを理解する必要があるのだ。

 また、オーバーワーク気味の業務量に嫌気が差すのもままある話。しかしこれも、「守・破・離」の考え方をもってすれば、チャンスに変えられるのだ。守は基本に則った通りに動くこと、破はそこに自分なりの応用を加えること、そして離は基本と応用をミックスさせ、自分なりのカタチへと昇華させること。この成長プロセスを経ることで、人は成功者へとなっていく。そして、密度の濃い仕事をすればするほど、このプロセスを経るスピードも速くなる。つまり、キャパオーバーの業務量を効率よくこなしていくことで、守から破へ、そして破から離へと殻を破っていけるのだ。

 そして、あるとき倉良は、社会人ならば誰もが抱くであろう疑念を口にする。「あなたがあなたのやり方を貫いても、周囲は真っ当な評価をしてくれない」。これは社畜に限ったことではない。自分がいまやっている仕事はなんの役に立つのか。こんなに頑張っているのに、誰も認めてくれない。そんな風に心が折れそうになったことがある人は、大勢いるはずだ。そんな人たちの想いを、倉良は代弁したのだ。そして、それに対する薮の言葉。これが、本作を読んでいて一番響いた。

「評価というものは、測る人間の都合でいくらでも変わる。君は人の心象で生き方を変えるのですか?」

 周囲から社畜だと蔑まれるような働き方をしている人たちのなかには、現状に誇りを持っている人もいるかもしれない。いまを修業期間と捉え、夢に向かって必死に努力をしているのかもしれない。そんな人たちをバカにするなんて、誰にできるだろうか。そして逆に、自分のことを理解していない人からの評価で、働き方を変える必要だってない。どう働きたいのかは、結局、自分にしか決められないことなのだから。

 本作のラストで、倉良はある答えを出す。薮のように社畜になるのか、あるいはお気楽な社員のように手を抜くのか。どの道を選んだとしても、それが納得できるものであれば、誇りを持って生きていける。彼の生き方は、ぼくらにそんなことを教えてくれているような気がする。

 とはいえ、倒れるまで働きカラダを壊してしまっては元も子もない。あくまでも、労働は計画的に。

文=前田レゴ