2014年のミステリー界を席巻した『その女アレックス』の前日譚!! 前代未聞の事件にヴェルーヴェン警部はどう立ち向かうのか?
更新日:2017/11/16
フランスの作家、ピエール・ルメートル氏と言えば、『その女アレックス』(ピエール・ルメートル/文藝春秋)の大ブレイクが記憶に新しい。それまで彼は、日本でほとんど無名の存在だった。それにもかかわらず、2014年9月に同書が発売されると、その人気はまたたく間に広がり、発行部数60万部を記録したのである。さらに、週刊文春ミステリーベスト10やこのミステリーがすごい!などの年間ミステリーランキングにおいて1位を総なめにするという快挙を成し遂げた。この年の海外ミステリーの話題は『その女アレックス』一色に染まっていたといっても過言ではないだろう。それだけ、この作品には強烈な魅力が宿っていたのだ。
しかも、そのブレイクは決してフロックではない。例えば、『その女アレックス』の後に発表した『天国でまた会おう』(ピエール・ルメートル/早川書房)は、フランス最高の文学賞であるゴンクール賞に輝いている。この作品も日本に紹介され、評判となった。そして、ルメートル氏の日本での名声をさらに高めることになった作品が、2015年10月に発売された『悲しみのイレーヌ』(ピエール・ルメートル/文藝春秋)だ。本作もまた、週刊文春ミステリーベスト10で1位、このミステリーすごい!で2位など、極めて高い評価を得ている。
ここでひとつ警告をしておきたいのだが、もし、『その女アレックス』を未読であるのならば、ぜひ『悲しみのイレーヌ』を先に読んでほしい。なぜなら、このふたつの作品は同一のシリーズ作であり、しかも、日本では発売の順番が逆になっているからだ。『その女アレックス』を先に読むと、『悲しみのイレーヌ』の結末の一部を知ってしまうことになる。もちろん、それで作品の魅力が消失するということはないが、時系列に沿って読み進めた方が、その味わいはより深いものになるだろう。
本作の主人公を務めるのはカミーユ・ヴェルーヴェン。身長145センチの小男だが、優れた知性と行動力を併せ持つ敏腕警部だ。無愛想で、気に入らない相手にはしばしば辛辣な言葉も口にするが、妻を心から愛し、優しく美しい彼女に深く依存している。そんな彼が、本作で捜査に当たるのは世にも残忍な殺人事件だ。ふたりの女性の死体が細かく切り刻まれ、部屋中にぶちまけられている。犯行を隠すためにバラバラにしたのではなく、明らかに犯行を誇示するための行為だった。
グロテストな描写が苦手な人は、その時点ですでにギブアップしたくなるかもしれないが、本書の見どころは決してそうした残虐描写だけにあるのではない。本書にはさまざまな魅力がつまっており、あらゆる角度から読者の心を揺さぶってくる。
まず、陰惨な事件から浮かび上がってくる見立て殺人の趣向だ。この謎はケレン味たっぷりで、しかも、捜査が進むにつれて事件の様相は二転三転するので、ミステリーファンの心をワクワクさせる。次に、ヴェルーヴェン警部を初めとする捜査陣。彼らは血肉の通った特徴的な人物として描かれており、それぞれが問題をかかえながら事件と相対している。彼らの存在感は極めて強く、それが物語に厚みを与えているのだ。さらに、ヴェルーヴェン警部が自分の内にかかえる問題も見逃せない。死別した母への複雑な想いと妻へ注ぐ惜しみない愛情。過去にとらわれながらも現在の幸福をかみしめ、それ故にその幸福を失うことを恐れる複雑な心境。そういったナイーブな描写は、主人公の陰影をより深く読者に刻み込んでいく。だからこそ、マスコミの暴走によって不利な立場に追い込まれていく彼が、いかにして突破口を切り開いて事件の真相に近づいていくかという展開がより読者の胸に響いてくるのだ。
しかも、これらの要素は個別に語られるだけではなく、やがて事件のクライマックスに向けてひとつに収束し、大きなうねりとなっていく。その構成が、読者の心をさらに揺さぶっていくのだ。ちなみに、この『悲しみのイレーヌ』はルメートル氏のデビュー作でもある。処女作には作者のすべてがあるというが、本作はそれを体現したような濃密な作品だ。そして、その果てに至る唖然とするような結末も著者ならではのものだろう。この衝撃の後に訪れる物語が『その女アレックス』となる。ぜひ、ふたつ合わせてその神髄を味わってほしい。
文=HM