“存在しない者”たちが1万人以上も! いまだに日本で無戸籍者が生まれ続ける背景とは?
公開日:2016/2/16
今年1月から本格始動したマイナンバー制度。通知カードが届いて早速個人番号カードの交付申請を粛々と進めた人がいる一方で、忙しくて時間がないから、面倒だからと申請ができていない人もいるだろう。個人情報の漏えいを懸念して放置している人もいるかもしれない。新制度にみながそれぞれの対応を見せる中、『無戸籍の日本人』(井戸まさえ/集英社)を読むと、当然国民全員に届くはずの通知カードが届かない人もいることを知って愕然とする。
著者は、NPO法人「親子法改正研究会」代表理事、「民法772条による無戸籍児家族の会」代表として無戸籍問題の支援に取り組む井戸まさえ氏。井戸氏が取材協力したNHK『クローズアップ現代』の「戸籍のない子どもたち」は視聴者からの反響が大きく、2015年「貧困ジャーナリズム大賞」を受賞した。だが、複雑な背景を説明するのが難しかったり、法に抵触する可能性があったり、放送するにはさまざまな限界があるという。本書は、テレビでは語られなかった“その先”に踏み込んで無戸籍問題の現状を真摯に伝えるものだ。
そもそも日本において、なぜ無戸籍なんてことになるのか、不思議に思う人は多いだろう。ちゃんと生きていればそんなことになるはずないのにと考えるかもしれない。だが、東京女子大を卒業し出版社勤務を経て経済ジャーナリストになったという立派な経歴の著者自身が、自分の子どもが無戸籍になってしまった過去を持つ。彼女の場合、一度離婚をした後に現夫と結婚して子どもを産んだ。ところが、民法第772条に引っかかり、その子どもが法律上は前夫との子になる事態に陥る。納得できない井戸氏は出生届を提出できなくなってしまう。民法第772条とは下記の通り。
民法第772条(嫡出の推定)
1、妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。
2、婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。
引っかかったのは第2項。前夫との離婚調停が長引いたため、現夫との間にできた子どもの誕生が離婚成立から300日以内だったのである。
ほかにも、“存在しない者”として生きてきた人々が本書に登場する。母が夫から過酷なDVを受けて逃げ出し、離婚できないまま新しいパートナーとの間に子どもを産んだケースや、親が産院にお金を払えなかったために出生証明書を受け取ることができず出生届を出せなかったケース、さらに親が出さないまま行方不明になっているケースもある。無戸籍の子どもたちは当然健康保険に入れず、必要な健康診断や予防接種を受けられない。小学校や中学校に行くことができないし、家にこもっているから社会とのつながりも希薄だ。職業は身分を証明する必要がない水商売などに限られてしまう。もちろん選挙権などない。さらに、大人になって無戸籍のまま出産し、子どもまでもが戸籍を取得できないという悲惨な連鎖が起きている。
国が守ってくれず、日々虐待やいじめ、犯罪などと隣り合わせの彼らの生活は、日本とは異なる国、もしくは異なる時代の物語と錯覚してしまうほどだ。こうした無戸籍者が日本に1万人以上存在するというのだから驚くばかりである。これだけ多くの人が異常ともいえる生活を送っているのに、なぜ解決できないでいるのか。民法第772条ができたのは今から120年前の1896年。妊娠のメカニズムがわかり、DNA鑑定もできるようになった現在も改正されないのはおかしい。
井戸氏は、多くの人が無戸籍者とその周辺の人々に対して胸に抱く暗い思いに言及している。井戸氏は衆議院議員となって民法第772条の改正を推し進めたが、保守派の反発にあってできなかった。そこには、日本の伝統的な家制度が深く根差していることを指摘する。民法第772条に背くような母親たちの行為を不貞と決めつけ、「親が無責任な場合は、子どもが無戸籍で不自由であっても仕方がない」との考え方があるという。また、政治家だけでなく役所でも、法律に従って善き社会人であろうとする職員たちに容赦のない態度をとられることが多いようで、無戸籍者に対する蔑みや偏見があることを嘆く。
恥ずかしながらよくよく考えてみると、もし自分が市役所の職員であったならば同じ態度をとらないとも限らないと思った。“あるべき家族の姿”とやらが自分の中にもあることに気付く。それにそぐわないものに蔑みや偏見がまったくないといったらウソになるかもしれない。しかし、昨今、離婚・再婚は取り立てて特殊なことではなく、ほんの少しのボタンの掛け違いでおそらく割と簡単に無戸籍という事態になりうるのだ。
自身が子どもを産む女性はもちろんだが、男性も顔が見えにくいだけで無戸籍者を生み出す当事者となる。そして、当然ながら無戸籍者となった子どもにまったく罪はない。より多くの人が無戸籍者の現状を知り、少しずつでも意識をすれば状況は変えられるのかもしれない。
文=林らいみ