「自己責任」という言葉で、個人に責任を負わせる日本社会に警鐘を鳴らす!
公開日:2016/2/20
「自己責任」。最近、よく耳にするようになった言葉だ。事故や事件が発生した際に、被害者に対して論じられることが多いせいか、どちらかと言うとネガティブな響きがある。記憶に新しいのは、イスラム国の人質事件だろうか。この時は、人質が殺害されるという最悪の結果になってしまったが、「自己責任」についての議論も行われていた。
そもそも、私たちは何を根拠に自己責任を論じるのだろうか? ニュースなどで議論を聞いていると、ついそれが正しいような気になってしまいがちだが、自己責任について論じるということは、被害者に責任を負わせることにつながるかもしれない。恐らく報道される内容が全てではない中で、人質にとられて明日殺されるかもしれない人に、責任を負わせるほどの根拠はあったのだろうか? 日本は、昔からこんな国だったのだろうか?
こんな疑問を鋭く指摘するのが、『この国の冷たさの正体 一億総「自己責任」時代を生き抜く』(和田秀樹/朝日新聞出版)だ。精神科医である著者が、現代の日本社会の“冷たさ”を、様々な例を挙げて解説し、そんな社会で生き抜く知恵を紹介している。
著者によれば、自己責任という概念は他にも様々な場面で誤った形で登場するそう。例えばアルコールやギャンブルなどの依存症。精神科医である著者ならではの視点だが、依存症の人に対して自己責任を論じることも適切ではないと指摘している。なぜなら、依存症とは意志を破壊される病気で、本人は快楽を追求するというよりは、強迫観念に突き動かされているような状態なのだ。
そのため本書では、責任を問うべきは依存症の原因を提供する側だと指摘されている。実際にアメリカでは、依存症の患者がタバコ会社や酒造メーカーに対して訴訟を起こして賠償金の支払いを受けることも珍しくないそうだ。
上記は本書で述べられている例のほんの一部。他にも不用意に自己責任が論じられるケースは、自殺や凶悪犯罪など無数にある。そのような場合は大抵、強者が恩恵を受け、弱者が叩かれるという構図があるが、誰かをバッシングすることが正義ではないと指摘する。
著者によると、いつ自分に「自己責任」が降りかかるか分からない状況で、一番大切なことは自分を責めないことだそう。もちろん、自分にも原因はあるかもしれないが、必ず他にも原因はあるものだ。「こうあるべき」という考え方にとらわれずに、多少ブレるくらいでちょうどいい。答えが出ない問題には必要以上に煩わされず、失敗しても過程だと割り切ることも大切だ。
不況を経験し、将来への不安もある中で、殺伐としてしまうのは避けられない。自分が得た情報から、誰かを批判してしまうこともあるだろう。しかし、マスコミや周囲が自己責任と言い出した時には、今までよりも注意深く考えてみよう。私たちに届く情報は限られているという前提で、相手の状況をイメージすれば、単純に自己責任とは言えないこともあるかもしれない。
他人や国に迷惑をかけないという考え方は立派だが、今が順調な人でも、将来何が起こるか分からない。自分が苦しい立場になった時に、周囲から自己責任と指摘されたら、追い詰められてしまうかもしれないし、周りには言えない事情だって抱えているかもしれない。そんな状況を見据えて、本書では「情けは人のためならず」の実践が勧められている。明日は我が身だと思って、苦しい立場の人を今までより優しく見守ることができれば、自分がその立場になった時にも安心して生きられるのだ。一人ひとりがそう心がけることで、もっと住みやすい社会になるかもしれない。
文=松澤友子