古の罪人の悲鳴を思う…江戸の刑罰・拷問のすべて
更新日:2017/11/16
犯した罪には償いを…というのは、古から続く理です。日本史を見ても世界史を見ても、まさに、人あるところに法規あり。時代や地域によって差はあれど、一定の罪を犯した者には相応とされる刑罰が与えられ、その刑罰への恐怖心が、コミュニティの治安維持に繋がった、というケースもあるはずです。
『江戸の刑罰 拷問大全(講談社+α文庫)』(大久保治男/講談社)は、江戸幕府の刑法や司法、治安状況や刑罰等について解説した一冊です。江戸時代の司法、刑罰や拷問といったキーワードから多くの方が連想するのは、『大岡越前』のような、名裁きを描いた時代劇ではないでしょうか。公明正大な人物による、人情あふれる裁きのイメージが流通している一方で、しかし私たちは、江戸の刑法についてどれだけのことを知っているでしょうか。死刑にもいくつかの段階があったこと。縁坐・連坐といって、犯人の親族や隣家の人間まで連帯責任を課し、財産の没収等がおこなわれたこと。更に、武家本位に制定されていたため、同じ罪を犯したとしても、罪人の身分によって科される刑罰が大きく異なったことなど、当時の刑法には、現代日本のそれとは大きく異なる部分や、不条理と思える点も少なくなかったようです。
「自白は証拠の王である」という考え方がまかり通っていたという当時。取り調べを担う役人たちにとって、「自分が犯(や)りました」という被疑者の言質を取ることは、自らの手柄に直結しました。厳しい拷問がおこなわれた理由のひとつはそんなところにもあったのではないかと、著者である大久保治男氏は指摘しています。
被疑者に罪を自白させるため、徳川幕府は「笞打(むちうち)」「石抱(いしだかせ)」「海老責(えびぜめ)」「釣責(つりぜめ)」という、4種類の拷問(正確には「牢問」と「拷問」)の実施を認めていました。両手を背中側で縛って、両肩を棒で打ち付ける「笞打」。凹凸のある板や丸太の上に正座させて、柱に括りつけたうえでその膝に重石を載せていく「石抱」。胡坐(あぐら)の状態で両足首と首を近づけて縛り、背中が丸まった姿勢のまま折檻する「海老責」。そして、被疑者を縄で縛ってつるし上げ、暴行を加える「釣責(つりぜめ)」――文字を追うだけでも寒気がしますが、本書にはより解りやすい挿絵も添えられています。…見たくなくても、添えられているのです。
同書ではこのほかにも、当時の役人が創意工夫を凝らして考案した、様々な拷問が紹介されています。掛けられる拷問の種類は、年齢・性別、地域や罪状により様々だったようですが、全体的にはかなりグロテスクな内容だったと言えるでしょう。古い刑事モノの映画などで描かれていそうな、殴る蹴るといったシンプルな暴行とは異なり、皮膚を焼き、肉を割かせ、粘膜を傷め…というような、じわじわと苦痛を与えていくことに重点が置かれて発明されたという印象を受けます。
世にも恐ろしい制裁が並ぶ、この一冊。こうした残虐史を知ると、現代の刑法がいかに人権に配慮し、発展してきたものであるかを痛感させられます。しかし一方で、自白に重きを置くという取り調べ姿勢は、数十年前までの日本と大差ないということも事実。そして、警察による脅迫めいた取り調べや、調書のねつ造といった不祥事は、現在の日本においても報じられています。取り調べの可視化や裁判員裁判、死刑の是非に関する議論など、罪との向き合い方・裁き方に関するトピックが賑わう昨今。古人の歩んできた道を振り返ることは、こうした現状について考える際のヒントを与えてくれるかもしれません。
そんな同書ですが、使い方によっては、ストレス解消のヒントにもなり得ます。掲載されている拷問や刑罰の方法を見ていくと、読む人ごとに印象深いものがきっと見つかるはずです。語弊があるかもしれませんが、「お気に入りの拷問・刑罰」をいくつか覚えておくとよいでしょう。面倒な知人・憎い上司・どうにも許せない家族等々…人間関係に疲れたら、忌まわしい相手を脳内でそっと、その方法で苦しめてやりましょう。大丈夫、想像だけならセーフです。我慢しきれなくなって武力行使に出る前に、心の中でこっそり、名裁きを演じてみませんか?
文=神田はるよ