愛犬との熾烈な攻防戦? 愛犬家が共感しまくる犬コミックエッセイ!!
公開日:2016/2/27
人間にとってペットとは、かけがえのない存在だと思う。とりわけ犬は大昔から人間の良きパートナーであった。現代においても変わらず、人間と犬は喜びや悲しみを分かち合い、もはやペットではなく、「家族」である。
しかし家族だからこそ、しっかりとした主従関係を築かなければどうなるか。それを教えてくれるのが、『青沼さんちの犬は腹黒だ』(青沼貴子/竹書房)というコミックエッセイである。
本書はマンガ家の青沼先生とその愛犬ジュラ(ダックスフンド、メス、6歳)との熱い攻防戦(?)を描いた、思わず「あるある!」と頷きたくなるような庶民派エッセイ。
なぜ本書の共感度が高いのかというと、ジュラが「飼い主の言うことをきかない」からではないだろうか。
飼い方やしつけの本などでは、「しっかりと主従関係を教えること」と口酸っぱく書かれていた。飼う前は誰しも「ちゃんとしつけよう」「人間が上だってことを教えなくちゃ」と意気込んで犬を家族として迎え入れる。
だが実際は、そうそううまくいかない。トイレやお手、寝床の場所など、基本的なことは教えられても、知らない人が来たら吠えるし、ご飯を食べなかったり、洗濯した靴下やパンツを噛んでおもちゃにしたりと、「言うことをきかない」ことは多々ある。
ドッグトレーナーに、ぴったりと付き添い、いかにも賢い顔をして座っているワンちゃんをテレビで見かける度に、「うちもこうなるはずだったんだけどな」と首を傾げたくなる。
小型犬で、愛玩として飼っている人にとっての犬は、個人差はあろうが多くは青沼先生のお家のジュラちゃんに近いのではないだろうか。
ジュラちゃんは犬が苦手で人間が大好き。甘えん坊で置いてけぼりにされるのがイヤ。自宅のインターホンが鳴ると大興奮して吠え、テレビのチャイムでも吠えまくる。宅配便などの知らない人が来ると、「警戒ぼえ」をすることも。もちろん飼い主である青沼先生も「ノー! ジュラ、吠えないで!」と一応注意はするのだ。犬は犬なりに怒られていることは分かるので、抑え気味にはなるが、「警戒ぼえ」自体が無くなることはない。
また、避妊手術のために、ジュラを動物病院に預け、翌日お迎えに行った青沼先生を、ジュラは数日間無視する。ジュラにとっては「変な所へ連れてかれて、置いてけぼりにされた!」と思ったのだろう。避妊手術自体は、今では行う飼い主も増え、それほど危険なものではないらしいが、それでも麻酔をかけ、お腹を切るのである。麻酔が効き過ぎて、目覚めないかもしれない……という不安を抱えたのちの、感動の再会のはずが、ジュラは怒ってしまったのだ。
それでも青沼先生はジュラを叱ったりはしない。手術後のジュラを気遣い、すねているジュラに苦笑い。とにかく無事に手術が終わったことに一安心。
ジュラちゃんの悪いところばかり書いたが、タイトルの「腹黒だ」というほど、ジュラちゃんは手に負えないワンちゃんには見えない。むしろ人が大好きで、読んでいると何度も「可愛い!」と口にしてしまうくらい、愛らしいワンちゃんだ。
犬を飼う前は、「絶対的な主従関係」ができるものだと思っていたし、そうするのがしつけだと考えていた。だけど、本当は違うのかもしれない。犬を一個人(個犬?)と認め、人間に対するように共感し、接する。番犬や牧羊犬など、仕事の相棒として犬を飼う場合は違うかもしれないが、家族として迎え入れるなら、完全な主従関係なんていらないのではないかと思う。
もちろん、人間のように接するというのは、「人間あつかいする」ということとは違う。犬は犬、人は人、という境界線をあやふやにすることがベストだと述べているわけではない。犬を飼ってみると分かると思うが「犬にも案外しっかりした感情があるんだな」と感じることが多い。「嬉しい」「悲しい」「怒っている」「嫌だ」「したい」などの、犬なりの「主張」を許される範囲で尊重する。それが青沼さんちのジュラちゃんで、多くの飼い主とワンちゃんとの関係だからこそ、このコミックエッセイは共感度がナンバーワンなのではないだろうか。
犬はおもちゃではないので、様々な主張をする。人間にとって都合の悪いこともある。だけど、それ以上の笑顔を与えてくれる。笑ってほっこりしながら、犬との関係を考え直させてくれる、うん、面白いコミックエッセイだった。
文=雨野裾