シートベルトをしている助手席とシートベルトをしていない後部座席、危険なのはどっち?
公開日:2016/3/9
世の中には「心配」なことが溢れている。
飛行機に乗るのが怖い。外出時、家の鍵を閉めて来たか不安。世界規模の話で言えば、度重なるテロ行為も、いつ我が身に降り掛かって来るか、気がかりでしょうがない。規模の大小はあれ、この世は「心配」に溢れているのだ。
しかし、本当にその「心配」は必要なものなのか? 心配し過ぎるあまり、行動範囲を狭めてしまうことが、社会や個人にとって不利益になることもある。『心配学「本当の確率」となぜずれる?』(島崎 敢/光文社)は、「心配」の本質を解説し、その真のリスクを理論的に数値化して「本当に心配すべきこと」を明らかにしてくれる、新しい試みの一冊である。
心配が過ぎて不利益になる場合というのは、例えばテロ行為。昨年11月、フランス・パリで100人以上の方がテロ行為によって命を落とした。この一報を受け、海外旅行をキャンセルした方もいるのではないだろうか。
けれど、単純に「巻き込まれて死んでしまう」という確率で比べると、交通事故に遭う確率の方がずっと高いのである。そしてテロリストの狙いの一つは、世界を心配させること。自分たちの行いをきっかけに、人を不安にさせ、旅行のキャンセル、街中の警備を強化させるなどの、精神的、経済的打撃を与えることも目的なのだ。
それを考えると、日々生活をしていて「交通事故に遭うかも」と心配することはないのに、テロだけを異常に心配することは、「確率的には」論理性を欠いており、社会の不利益につながっているのである。
もちろん、交通事故は自分の注意で防げる可能性は高く、テロは自分の力ではどうしようもなく、死亡者も多い、といったような「遭難の仕方の違い」はあるが、そういったものを一度度外視した際、本当の確率は交通事故の危険度の方が高いのだ。
本書の目的は、危険=リスクが生じる確率が、「本当の確率」と「感じる確率」にズレがある場合があり、それは正しい危険回避行動の妨げになっているという観点から、「とんちんかんな危険回避行為」を防ぐことである。
そのため、本書の構成はまず、人間の「心配」は、本当に心配すべき確率から、いかにズレているかに紙幅を費やしている。
人は感情的なものを受け入れやすく、理論や数値によっては動きづらい。またメディアやニュースは「ショッキングな出来事」を報じがちであり、頻繁に起こる(つまり、一番心配しなくてはいけない)事件はあまり取り上げられない。
また、世の中に溢れる「平均」にも、心配の落とし穴が隠されているそうだ。
例えば「平均年収」は、一部の高額所得者が平均を上げ、実は一番多い平均収入者を数値上では「平均以下」にしてしまうなど、私たちが「危険だ」「心配だ」と感じることは、本当の確率とズレていることが多い。
その認識をしっかりともった上で、本当の確率を信頼できる資料やデータから調べ、自分で計算できるようになってほしいというのが、本書の最終目的である。
さて、それでは計算によって算出された「本当に危険なのはどっち?」の一例を紹介してみたい。
2008年から後部座席のシートベルト着用が義務化されたが、一般道路ではまだ罰則がなく、着用している人は少ないのではないだろうか。
一般的に「助手席が一番危険」という認識があり、だから助手席では必ずシートベルトをすることが義務付けられていると思っている方も多いかもしれない。
それでは、信頼できるデータを参照してみると、「シートベルトをしている助手席」と「シートベルトをしてない後部座席」どちらがより危険なのだろうか。
ここで注意すべきことが一つ。運転席と助手席は使用頻度が高いので、どの座席が一番危険なのか調べるためには「各座席に乗っている人あたりの死者数(死亡率)」を比較する必要がある。単純に「座席別の死亡者の数」を比べても意味がない。
結論を言ってしまうと、「シートベルトをしている助手席」と「シートベルトをしてない後部座席」なら、後者の方が約4倍も致死率が高いそうだ。「後部座席は安全」というのは思い込みだということが、数値を見ればすぐに分かるのである。
このように、「心配」を出来る限り数値化し、「本当に危険なのは何か」を見極めることは、正しい危険回避につながり、「正しい心配」を私達に教えてくれるのである。
文=雨野裾