好みのタイプは「やさしい人」。でも、「やさしい」ってそもそも何? 「やさしい」の意味を探ってみよう!
公開日:2016/3/18
結婚したい人の条件で常にトップに浮上するのが「やさしさ」であるらしい。
人に対してだけではなく、やさしさは物や環境にまで求められる。例えば「肌にやさしい」「自然にやさしい」と言った具合に、「やさしさ」は今や様々な機会に耳にする言葉である。
だが、「あの人はやさしいだけ」「やさしすぎてつらい」など、否定の意味でも用いられることがある。
そもそも「やさしい」とは、一体何なんだろうか?
『「やさしさ」と日本人 日本精神史入門(ちくま学芸文庫)』(竹内整一/筑摩書房)は、広く受け入れられている言葉にして、多義性を持っている「やさしさ」というものを、学術的に分析した、「やさしさ尽くし」の一冊である。
末尾に、本書は語る。
ここでの営みは、いわばその精神土壌を掘り起こす作業でもあった。そのことをぬきに、原質としての「やさしさ」を、また共感としての「やさしさ」を真に賦活させることはできないと思ったからである。
さらに、
「私たちの思想的遺産をどのように受け継ぎ、未来に向かって生かしていくかという、一人ひとりの日本人に突きつけられている重い課題に対する、考え抜かれた回答の一つとして本書があるのである。
これが本書の最終的な着地点だが、どうにも難しすぎるので、出来る限り簡単に紹介してしまおうと思う。
要は、「やさしさ」の歴史をひもとき、日本人がどのように「やさしさ」を感じ、言葉として使用してきたかを(精神土壌を掘り起こし)分析することで、様々な意味のある「やさしさ」の機能を活発化させようとし、「やさしさ」とは何かの「回答の一つ」をまとめている、ということだ。
ここで、いくつか紹介されている「やさしさ」について追ってみよう。
本書では70年代~00年代の曲の歌詞に見える「やさしさ」がどのように使用されているかを分析している。一番多いのは、「親切だ、情け深い」、次に「穏やかだ、おとなしい」、最後に「上品だ、優美だ」。これらは「やさしさ」と言えば思いつく意味だと思う。
しかし一方では「自分と相手との間には埋められない距離がある」と寂しさを感じ「その距離を埋めようとする」、反対に「傷つかないために距離をとる」やさしさなどもあると指摘している。
さらに、「やさしさ」の変化として、現代の若者は「相手の気持ちを察し慰め共感しようとする」ことから「相手の気持ちに立ち入らずに傷つけないようにする」やさしさへ変化しているのではないかという意見もある。いわば、自分が傷つかないための「予防」である。
また本書では人気ロックバンドのBUMP OF CHICKENの歌詞から「やさしさ」をみている。「ひとりごと」という曲だ。
ねぇ 優しさってなんだと思う 僕少し解ってきたよ
きっとさ 君に渡そうとしたら 粉々になるよ
ここでのやさしさは「君のため」と言いながらも、自分のエゴなのではないかと警戒気味に自覚されている。優しいひとは自分のことをそうとは思っていない。自分が意識しないことで、相手が「やさしさ」を感じた時、それが本当の「やさしさ」ではないかと歌っている。
曲から離れ、今度は文学から「やさしさ」をみてみたいと思う。
太宰治が考えるやさしさは「人間の貴さの証としての」やさしさであるという。
人を憂うる、ひとの淋しさ侘びしさ、つらさに敏感な事、これが優しさであり、また人間として一番優れている事じゃないかしら、そうして、そんな、やさしい人の表情は、いつでも含羞(はにかみ)であります。
バンプがやさしさを「エゴ」と歌いかける一方、太宰は「含羞(はにかみ)」であると述べている。やさしさがいかに多義にわたっているか、人によって感じ方が違うかが分かる。
この他にも、本書では古典、文学、曲、研究者の資料から「やさしさ」についてアプローチしている。結論から言えば「やさしさ」の答えはない。それは人によって、時代によって、変化していくものなのだ。
しかし、自分の中では「やさしさ」の意味を確立し、それを他人に与えられる人間になりたいと思う。
文=雨野裾