卑弥呼や義経と日本酒の関係とは? 歴史は酒の力で動いていた!? 歴史好きも酒好きも驚く日本酒の話

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公開日:2016/4/20


『日本史がおもしろくなる日本酒の話(サンマーク文庫)』(上杉孝久/サンマーク出版)

 卑弥呼は酒に酔って神と対話していた!?
 源義経の首は清酒につけて運ばれた!?
 日露戦争に勝てたのは酒のおかげ!?

 日本酒にからめて日本史を面白く解説してくれるのが『日本史がおもしろくなる日本酒の話(サンマーク文庫)』(上杉孝久/サンマーク出版)だ。日本酒プロデューサーである上杉氏は日本地酒協同組合専務理事であり、かつて「日本一早く開店し、世界一早く閉店するバー」として話題になった「BAR楽」を経営した過去があったり、日本酒セミナーや講演を年間100以上こなしていたりする日本酒のプロだ。極めつきは、上杉謙信、鷹山を祖とする上杉子爵家の9代目当主でもある。そんな上杉氏が注目したのが、日本酒と日本史の関係だ。

イギリスのウイスキーやドイツのビール、ロシアのウォッカ、アメリカのバーボンなど、国酒といわれる酒は必ずその国の歴史と深くつながっています。

 実際にその通りで、冒頭で紹介した通り、本書には日本酒と日本史に興味のない方でもひきこまれる酒と歴史がずらりと並んでいる。せっかくなので、本書を読んで私が個人的に気になった日本酒と日本史の歴史を紹介したい。

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日本酒のルーツは「口嚙み酒」

 713年に編纂が命じられた『大偶国風土記』には「口嚙み酒」についての記述があるという。「口嚙み酒」とは、煮た米を長い間噛んで粥のような状態にしてから土器に吐いて、アルコール発酵させたもの。簡単に「口嚙み酒」ができる原理を説明しよう。唾液中の酵素であるアミラーゼが米をブドウ糖に変えて、空気中の野生酵母がそのブドウ糖にひっつく。野生酵母がブドウ糖をアルコールに分解して「口嚙み酒」ができるというわけだ。現在の日本酒も同じ原理で造られており、「口嚙み酒」が日本酒のルーツということになる。著者は、この「口嚙み酒」が縄文時代からあったと考えており、もしかすると縄文人は干した魚を酒の肴に一杯やっていたのかもしれないと述べている。

『応仁の乱』の頃から営業している酒蔵

 八代将軍、足利義政の後継者争いなどをきっかけに巻き起こった「応仁の乱」。なんと、その頃にできた酒蔵があるという。それが秋田県の「飛良泉(ひらいずみ)本舗」だ。その創業はなんと1487年だという。応仁の乱の後、義政が銀閣寺を建てた頃からなのだとか。ちなみに。「応仁の乱」によって、戦火が全国に波及。特に主戦場だった京都は焼き尽くされて灰になったそうだ。しかしその復興のおかげで、全国の交通網、流通網が発達したという側面もあるらしい。

江戸時代、地に落ちた京都の酒

 江戸時代になると酒造りの技術も進化する。しかし、当時のグルメ本にあたる『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』には、「京都の酒が甘口なのは、酒の技術を進化させていないからだ」とばっさり書かれている。江戸時代で最も賑わいをみせた元禄期は、京都の旦那衆たちが華やかな文化に浮かれていた。つまり、酒の技術を革新させなくても、あまり良い酒でなくても、いくらでも売れてしまうのだ。料理が美味しいイメージの京都だが、江戸時代の酒については評判が悪かったという。

 このように、歴史好きや酒好きがうなるエピソードが多数紹介されている。そしてもう1つ、本書には他にない特徴がある。それは、ちょっとした旅行ガイドブックにもなっているということだ。著者の上杉氏は、実際に現地へ赴いて、調査し、執筆にあたっているので、各地域の遺跡や酒蔵の情報もコラムとして入れているのだ。これは嬉しい仕掛けだ。

 海外で注目され、国内でも再び日本酒人気に火をつけようとする動きがある。それにのっかり、本書を読んで、酒の席でうんちくを披露したり、日本酒と日本史を追いかける旅へ出かけたりするのもいいかもしれない。

文=いのうえゆきひろ