埼玉県の中に東京都の区がある!? 知らなかった「区界」にまつわるトリビアの数々!
公開日:2016/4/21
私が東京という砂漠都市にやってきてから、早20年が過ぎた。しかし意外と活動範囲は狭く、最初の中野区から新宿区に移動し、現在また中野区へと戻っている。そもそも地方出身であるため、23区の全区を諳んじられるかどうかも怪しい。だから自分が住んでいる場所でありながら、知らないことが非常に多いのである。
ちなみに現住所である東中野は、実は新宿区との境界にあった。『なんだこりゃ? 知って驚く東京「境界線」の謎』(小林政能/実業之日本社)によれば、「中野区-新宿区-豊島区-練馬区」の境界密集地がこのあたりになるのだという。確かに早稲田通りを挟んで中野区から新宿区の境界となっており、以前住んでいた落合から現居住地はそれほど離れていないにもかかわらず、落合は新宿区で東中野は中野区だ。
本書ではこういう場所を「区界」と呼んで、いろいろな場所を探訪して回っている。中でも面白かったのが、埼玉県新座市の中にポツンと存在する「東京都練馬区西大泉町」だ。地続きではなく、新座市に囲まれた形で飛び地となっているのである。なぜこのようになったのかは不明なのだそうだ。この区画だけごみの収集を練馬区が担当しているなど、なかなかに煩雑な状況のようだ。
現在、東京は23区であるが、元々は15区だったのだという。1889年に東京市が成立し、15区が誕生。そこから人口増加などを受け、1932年に35区となった。しかし戦争後、区部の人口が激減したため1947年に23区へと再編成されたのである。その23区にしても、最初は22区だったが板橋区から練馬区が分離独立して形成されたもの。やはりテリトリーを決めるというのは、一筋縄ではいかないのだろう。
その変遷の中で、当然さまざまなエピソードも生まれてくる。例えば現在の大田区。その由来はかつての「大森区」と「蒲田区」の一文字ずつを取ったものだとか。また私がよく足を向ける飯田橋にある、駅に隣接するビル「飯田橋RAMLA」には「区境ホール」という場所がある。なぜそう呼ばれるのか知らなかったのだが、元々ここは「小石川区-麹町区-牛込区」のトリプルジャンクションであり、現在は新宿区と千代田区の境界。だから「区境ホール」にはそれを示すプレートが埋め込まれている。これこそが由来だったのだ。
そして現在でも、23区はどんどん変化している。2016年の時点で23区最大面積なのは大田区で、今後も拡大する可能性があるという。元々23区最大面積は世田谷区だったが、1993年に大田区が追い抜いている。実は大田区、区内に「東京国際空港(羽田空港)」を抱えており、東京湾を埋め立てることによって面積を拡大してきたのだ。海浜に面した土地を持つ区は、これからもその形を変えていくのかもしれない。
こうして見てみると、23区にまつわる知識というのはいわゆる「トリビア」に属するものといえる。しかしながら日々の生活に新鮮な驚きというものはなかなかないもの。「隅田川の上流部は、かつて荒川と呼ばれていた」と、なぜ荒川に面していないのに荒川区と呼ばれるかの理由を知っていれば、その場所に行ったときに感慨深く思うことだろう。散歩を趣味にしているような人は、現在の区界やかつての境界を知ることによって、新たな楽しみを見出せること請け合いなので、ぜひオススメしたい。
文=木谷誠