空前の猫ブームには社会的な意味があった!? 「猫熱」の裏に潜む、日本人の願望とは?

社会

公開日:2016/4/25


『ヒトラーはなぜ猫が嫌いだったのか(コア新書)』(古谷経衡/コアマガジン)

 昨年から、日本には空前の猫ブームが到来している。テレビも映画も雑誌も、猫を題材にしたものが数多くあらわれ、それらの作品は、のきなみヒットしている。

 猫の魅力とは一体何なのだろうか? 正直、猫を飼った経験もなく、どちらかと言えば犬派の私には、「猫のどこがそんなにいいの?」という気分だが、テレビに出ている芸能人たちは「かわいいから」「ツンデレだから」など、様々な理由を口にする。

 しかし、ただ「かわいい」という理由だけで、これほどまでのブームになるだろうか? 猫熱の裏には、実は日本人の「願望」が込められており、今まさに社会が「転換期」を迎えているがゆえに、猫ブームが到来しているとしたら……。

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ヒトラーはなぜ猫が嫌いだったのか(コア新書)』(古谷経衡/コアマガジン)は、「猫を溺愛する社会には意味がある」という視点から、昨今の猫ブームを切り取った画期的な新書である。

 人類の歴史には、「犬性の社会」と「猫性の社会」があったという。「犬性の社会」は犬を偏愛し、犬的な性質(忠誠、従順、服従、上意下達の縦型構造)を美徳とする社会。一方、「猫性の社会」は猫を偏愛し、猫的な性質(自由、放任、個人主義)を美徳とする社会のことだ。

「犬性の社会」として象徴的にあげられているのが、ナチス総統のアドルフ・ヒトラーである。ヒトラーは生涯の大半を犬と共に過ごし、ベルリンの地下壕で自決する時にも、愛犬を傍に置いていたほどだ。

 これは単に、「ヒトラーが大の犬好きだったから」という話では片付けられない。ヒトラーは犬の祖先である狼を自身やナチスのシンボルとした。その理由は狼が、「人を寄せ付けない厳しい森林や山岳地帯の中、他の動物を駆逐し、孤高の捕食獣として厳しい生存競争を生き抜いた」からだという。

「自然界では強いものが生き残り、弱いものが淘汰されていく」という「適者生存」の考え方をヒトラーが支持し、「劣性のユダヤ人は生きるのに値しない」という曲解になり、ユダヤ人の迫害やホロコーストにつながったことは周知の事実である。つまり、犬は狼に最も近い存在として、「適者生存」で生き残った「強きもの」のシンボルだったのだ。ゆえに、ヒトラーは自身の思想を象徴する犬を溺愛し、ナチス統治下のドイツは「犬性の社会」だったといえる。

 それでは、日本はどうだったのか。

 日本は江戸時代から「猫性の社会」だったが、太平洋戦争の戦時統制期から、戦争の影響により「忠誠、従順」が良しとされる「犬性の社会」に変化した。その後、1995年ごろまで「犬性の社会」を維持し続ける。戦時下は「国家や天皇」にたいする「服従」が求められており、戦後はその対象が「企業」に変わった。戦後日本社会では、国家という観念が希薄になったがゆえに、人々の熱量は企業(その内部にある『疑似国家』)に向けられたのだ。「愛国精神」という言葉が忌避されるようになり、「愛社精神」という言葉が生まれたことからも、その変移が国から会社になったことが分かるだろう。

 そして、今となっては「愛社精神」も、あまり聞かなくなった。「年功序列」や「終身雇用」も次第になくなりつつある昨今、日本人は「よりどころ」を失くしている。加えて、1995年ごろには「戦後的何か」が終焉したことも大きい。戦後社会は、「企業社会・平和主義・安全無謬」が根幹の社会構造であった。しかし「終身雇用」「年功序列」という考えが「成果報酬」にとって代わり、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件などを経て、「日本は安全」という神話も突き崩された。

 よって現在、人々の心が「犬性の社会」を脱し「猫性の社会」へと回帰する流れに変化するのも不思議なことではない。

企業戦士の終焉は、日本人を組織から自由にしつつある。

 と、著者は述べる。しかし、今の日本は完全に「犬性の社会」から脱却したわけではない。「社畜」という言葉から象徴されるように、日本人の大半が、未だ企業に所属し、生活に干渉されている現状だ。

 だからこそ、日本人は「自由」に憧れている。その「憧れている状態」、「社会が変移する過渡期」ゆえに、猫ブームが到来しているのだ。つまり、完全に「猫性の社会」になってしまえば、猫熱は治まるということだろう。

 さて、本書の内容を、猫マニアたちはどう思うだろうか。ぜひとも意見を聞いてみたい。

文=雨野裾