【連載】大論争!哲学バトル Round 03 少年法は厳罰化すべきか?

公開日:2016/4/30



ソクラテス
今回は、少年法について考えてみよう。最近、若者による凶悪犯罪がテレビや新聞で報道されておる。
実際には若者による犯罪は増えていないというデータもあるようだが、犯罪が話題になることが増えたのは確かなようじゃ。
これを抑止するための方法として、まず挙げられるのが少年法の厳罰化じゃ。
この厳罰化が果たして正しいかどうか。まずはアリストテレス君。どうかね。


アリストテレス
はい、私は厳罰化に賛成です。まず正義には配分的正義と調整的正義があります。配分的正義とは、その人の能力や業績に応じて、それに見合った財産や名誉が配分されるという正義です。対して調整的正義とは、社会の歪みや不正を刑罰や損害賠償などで「調整」することです。


ソクラテス
なるほど。裁判や刑罰は調整的正義の実現というわけか。


アリストテレス
例えば、リンゴ二つを盗んだ犯人の刑罰がリンゴ一つを返すだけでは、正しい刑罰ではありません。
その人の年齢や人格を問わず、犯した損害以上の損害を与えることを刑罰と言います。
ですから、少年であろうが、犯した罪の重さに応じて刑罰は適用されるべきなのです。


ベンサム
私はアリストテレスさんに賛成ですね。
人間は快楽と苦痛によって支配されていますが、自分の快楽しか求めないならば、社会全体のことを考えるよう制裁を加える必要がある。制裁とは苦痛を与えるもの。
社会が個人に対して与える制裁とは、その本人が社会に与えた苦痛を上回る苦痛を与えることにある。


J・S・ミル
ちょっと待ってください、ベンサム先生。
あなた、私が習っていた頃から外的な損得しか問題視しなかったですよね。
だから制裁も法律による制裁のような外的制裁しか考えられないんですよ。


ベンサム
おいおいミルよ、ずいぶんと言うようになったじゃないかね。
外的制裁の何が悪いのかね。


J・S・ミル
私は内的な制裁にこそ、本当の制裁に意味があると思っています。苦痛もいろいろです。
人間としてなすべきことをしなかった時に感じる苦痛、すなわち良心の呵責こそが、真の制裁なのです。自分の彼女に嘘をついたとします。どのような制裁がふさわしいか。罰金ではありません。
傷ついた彼女を思いだし続けることで良心の呵責にさいなまれることこそ、あるべき制裁でしょう。


ベンサム
相変わらず青いのう、ミルは。誰もがその傷ついた彼女のことを思い出し続けると思ったら大間違いだ。それができない人間はどうなる。制裁にはならないではないか。


ソクラテス
なんだか、師弟対決のようになってきたのう。
ここでいったん、「無知の知」に立ち返るか。
私達は刑罰の何たるかを、実は知らない。刑罰とはそもそも何じゃ?


アリストテレス
それは簡単です。社会の利害・得失を調整する原理ですよ。
先ほど「調整的正義」と言いました。
人間は社会的動物で、社会の中でしか生きられない。だから刑罰という方法を用いて社会を調整し、正義を実現するのです。


ベンサム
基本的には、私もそう思う。私の考えでは、人間の快楽や幸福は量的に計算できる。そう、快楽計算が可能なのだ。そして、社会全体の快楽・満足の増大を図るならば、すなわち社会の総意としての幸福を求めるならば、やはり社会秩序を維持するために刑罰は必要なのだ。


J・S・ミル
ちょっと、ベンサム先生もアリストテレスさんも、もう少し質的な議論をしませんか。ベンサム先生は「快楽は計算できる」とおっしゃいますが、酒を好き放題に飲む快楽と、読書をして知性を身に付ける快楽とは同じではないでしょう。功利主義を教えてくれたのはベンサム先生ですが、私は質的功利主義が必要だと考えます。「満足した豚であるよりも、不満足なソクラテスの方がよい」のです。


ソクラテス
ん? わしは褒められたのかな?


J・S・ミル
そうですよ、ソクラテスさん。先ほど私は、良心の呵責という内的制裁が、社会の秩序維持のため大切だと言いました。言い換えれば、刑罰とは、罪を犯した人間が自分自身で内省し、社会的更生を果たしていくことなのです。


ベンサム
犯罪者の更生を目指すのが刑罰だと言いたいのかね。


J・S・ミル
そうです。外的な苦痛を与えて恐怖心を煽り、再犯を防ぐというだけでは、刑罰として不完全だということです。この犯罪者の更生という意味を、お二人とも考えてくださいよ。


ソクラテス
つまり、社会秩序を維持するために、制裁を用意する必要があるということでは一致しているわけじゃな。
アリストテレスやベンサムは、刑罰=苦痛を与えて恐怖による抑止効果を期待する。
ミルは犯罪者の更生を考えるというわけか。


J・S・ミル
そういうことになります。


ソクラテス
なかなか難しい議論じゃ。簡単に結論は出ないじゃろう。
ここで少し、参考人に登場してもらおうかの。少年院に送られた経験をもつ青年がおる。
君、身の上話をしてくれたまえ。


参考人
みなさんのお話、耳が痛いです。僕は中学生の時に窃盗を繰り返し、少年院に送られました。
僕の家は母ひとりに妹二人の四人家族です。父親はいません。
母が働いていましたが、パート仕事で安定していませんでした。


ソクラテス
いわゆるシングルマザーの貧困家庭じゃな。


参考人
ある時、カップラーメンを子供達三人で分け合ったのですが、それから3日間、何も食べるものがなく、水道も止められていたので、公園の水をペットボトルに入れて持ち帰り飲んだこともありました。


J・S・ミル
それで盗みを……。


参考人
母が病気になってしまったんです。それで、仕方なく食べ物を盗むようになりました。学校にも行っていません。周りにも相談できる人はいなくて。結局、盗みを繰り返しているうちに、そんな生活が当たり前のようになってしまったんです。


ソクラテス
で、今は何をしてるんじゃ。


参考人
少年院を出て、今は自動車部品工場で働いています。
面接の時に過去の事情を話したら、とりあえず働けと社長に言われて。
ラッキーなことに、非正規ではなくまがりなりにも正社員として働いています。


ソクラテス
そうか、まじめになったのう。
なぜ更生できたと思うかね。


参考人
たぶん、会社の社長をはじめ、周りの大人のおかげです。
それから、少年院に入っている時、聖書や仏教の話を聞いたことも大きかったように思います。
自分一人のために他を犠牲にしてはいけないとか、隣人愛や慈悲の心について知ることができたんです。


ソクラテス
よくわかった。さて、ここで問題じゃ。
先ほどの議論に戻るが、少年も成人も、刑罰は同じように適用されるべきなのか? 
どうじゃ諸君。


アリストテレス
はい、やはり平等に適用されるべきです。参考人の彼は、確かに同情すべき点がある。しかし、社会の法を守ることは、社会に生きる以上、最低の正義であるし、参考人のように誰もが同情すべきだとは限りませんし、誰もが更生するというわけでもありません。


ベンサム
その通りだ。社会では常に多数の人間が幸福にならねばならない。量的功利主義とは、そういう考えです。例えば、一人の少年に制裁を加えることで99人が幸せになるなら、その少年には刑罰を受け入れてもらわなければならない。それが「最大多数の最大幸福」なのだ。


J・S・ミル
その制裁が死刑だとしてもですか? 
私は成人と少年は明確に分けられるべきだと思います。
少年は自分で富を得る能力がない上に、教育も十分に受けてはいません。
参考人が言っていたように、生まれ育った環境などの社会的影響や、周囲の大人達の影響を強く受けています。


ベンサム
もちろんそうだとも。


J・S・ミル
ならば、少年の更生をまず第一に考えるならば、少年の育った生活環境に十分に配慮して、更生の機会を与えなければならないはずです。成人と同じ刑罰を与えるのでは、その機会を失うことになります。


アリストテレス
しかし、犯した罪の重さは、成人でも少年でも変わらないはずだろう。


ソクラテス
なるほど。ではここで、被害を受けた人々の側についても考えよう。
被害者は少年法によって罪を犯した少年が守られることについて納得するのじゃろうか?


ベンサム
人間は苦痛と快楽に支配されているという点において、平等だ。商品を奪われた店は苦痛を背負います。今回のケースとは違うが、殺人の場合、被害者が生き返ることはない。被害者は被害を受け続けているのであり、こうした社会的不利益を、社会は改善しなくてはならない。


J・S・ミル
ベンサム先生、社会的不利益とおっしゃいますが、もし犯罪者である少年の更生が可能ならば、再犯は起きないわけですよ。それは社会的利益じゃありませんか。参考人も言っていたではないですか、聖書の話を聞くことが更生に繋がったと。


ベンサム
だから、それが万人に対して適応できるわけではないのだよ。もちろん「破門」のような宗教的な制裁もあり得る。
しかし、それは万能ではないのだ。


J・S・ミル
では、万能な刑罰はあり得るのですか?


ベンサム
それが法律だ。法律こそが「最大多数の最大幸福」を約束するものであり、法律的制裁を加えることが、社会の幸福をもたらすのだ。


J・S・ミル
内的制裁ではなく、あくまでも法による外的な制裁が必要だと?


ベンサム
そうだ!


孔子
しばし待たれい。法とはそもそも何であるか。
古代・戦国時代の中国には「法家」という一派がある。韓非子や李斯などが有名じゃな。
彼らは「法」を単なる規則ではなく「刑罰」でもあると考える。これを「法治主義」という。
これは性悪説をとる荀子の影響じゃ。為政者(政治家)が「賞罰」や「刑罰」を与えて統治する。「信賞必罰」をこととする考えじゃ。


ベンサム
なるほど。私の考えと通じるところがありそうだ。


孔子
しかし、わしの意見とは違う。わしは、人間が徳を発揮するためには、まず為政者自らが自分自身を修めなければならないと考えておる。そのためには徳を修養することが大切であり、何よりも優先される。すなわち「徳治主義」じゃ。国を治める者がいい加減では、人々はついて行かないじゃろう。


J・S・ミル
その徳治主義と少年法に何の関係が?


孔子
つまり、罪を犯した少年を責める前に、責められるべき上の者達がいるだろうという話じゃ。
世が乱れるのは、内面的な上下の秩序である「仁」が乱れているからじゃ。
少年には育てた親がいて、その親にもまた親がいる。この家族の「仁」が乱れると、おのずから天下も社会も乱れる。まずは家族の中で「仁」を確立し、あまねく天下に拡大しなければならんのじゃ。


ソクラテス
すると、為政者との関係は?


孔子
「仁」を世に広めてゆくため、人々を道徳的に感化し統治するのが為政者の役割じゃ。
人々は徳のある為政者の姿を見て感動し、自らの徳を発揮するのじゃ。
これは、身近な社会でもそうじゃ。
上司の後ろ姿を見て部下が育つ。教師の姿を見て生徒が育つ。親の後ろ姿を見て子が育つ。
上に立つ者が道徳的でないから、下が育たない。健全な上下の秩序である「仁」が育たない。
よいか、罪を犯した少年だけを責めても、何の解決にもならぬぞっ!


ソクラテス
孔子殿が加わり、がぜん議論が白熱したようじゃ。
法律的制裁か内面的制裁か。社会全体の幸福の「量」か「質」か。
そのあたりに論点がしぼられてきたな。


アリストテレス
なるほど。この世界をありのままに見た時、そこに社会的損害があれば刑罰で調整すると、私はスマートに割り切って考えていました。
しかし、古代の哲学者と近代の哲学者がこうして出会ったならば、また違った思想が生まれていたでしょうね。


J・S・ミル
そうですね。もう少し早く時代を超えて出会えていたら……。
そうそうアリストテレスさん、あなた、君主制だろうと貴族制だろうと民主制だろうと、必ず腐敗形態に陥り革命が起きると『政治学』という本で述べておいでですね。
17世紀の絶対王政に反発した人々が、あなたの予言通り革命を起こしたんです。


アリストテレス
まあ、当然でしょうな。


J・S・ミル
そうして、多くの人が選挙権を手に入れました。すると別の問題が出てきたのです。
新しい暴君である「多数派の市民」による支配、つまり「多数者の専制」の危険が生まれてきたんです。
「ディストピア」ってご存じでしょうか?


アリストテレス
「ディストピア」?


J・S・ミル
はい、常に全体のために個人の犠牲をいとわない社会です。
私は個性などが抑圧される悪夢のような社会「ディストピア」の到来を予見し、その危険を警戒したのです。残念ながらその予見は当たってしまいました。
聞くところによると、1930年代のドイツで、ヒトラーがそのディストピアを作ってしまいました。
彼は選挙によって多数派を形成し、個人の自由や権利を制限した。そう、ファシズム(全体主義)の到来です。こうして個人の多様性は、合法的に作られた多数派によって奪われたのです。


アリストテレス
それで、あなたは、幸福の「量」ではなく「質」の議論をしたわけですな。なるほど。


J・S・ミル
はい、今回のテーマである政治や刑罰の問題は、この「質」の問題に行きあたるような気がするんです。刑罰についても、単なる法律的処罰とその恐怖によって再犯を防ぐという制裁としてだけではなく、犯罪者の更生を図り、彼らの固有の能力を最大限に高めるという方向で考えるべきなのではないでしょうか。


ソクラテス
それぞれに持論があるが、少年犯罪に対し法律的に厳罰化を適用するかどうかは、社会全体のあり方と切り離すことはできないようじゃな。頭ごなしに厳罰に傾くのでは、人間の英知に反する。我々は当たり前に割り切ってしまいそうな問題ほど、逆の意見をぶつけ合いながら問答し、吟味しなければならない。吟味なき人生に生きる価値などないのじゃ。

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<著者プロフィール> ●畠山 創:北海道生まれ。早稲田大学卒業。専門は政治哲学(正義論の変遷)。現在、代々木ゼミナール倫理、政治・経済講師。情熱的かつ明解な講義で物事の本質に迫り、毎年数多くの生徒を志望校合格に導く。講義は衛星中継を通して約1000校舎に公開されている。「倫理」の授業では哲学的問いを学生に投げかける「ソクラテスメソッド」を取り入れ、数多くの学生に「哲学すること」の魅力・大切さを訴え続けている。

岩元 辰郎●フリーイラストレーター。法廷バトルアドベンチャー『逆転裁判』シリーズや『バクダン★ハンダン』などのゲームや、アニメーション『モンスターストライク』等のキャラクターデザインを担当している。