【連載】大論争!哲学バトル Round 04 グローバリズムと愛国心、どっちが大事?
公開日:2016/5/1
ソクラテス
近年は「グローバリズム」という言葉がはやって、世界の一体化が叫ばれるようになった。人類みな兄弟というわけじゃな。しかし、一方で国と国の利害が対立したり敵対したりすると、なかなかみな兄弟とはいかなくなる。愛国心や国益が強調される場面じゃ。
もっと身近な例で言えば、家族やふるさと、会社など、所属する組織や親しい人間の利益を優先したいという人もおる。
今回は、グローバリズムと愛国心、人類全体と身近な仲間、どちらが大切か議論してみよう。
アリストテレス
「グローバリズム」に近い観念は、私の弟子でもあったマケドニアのアレクサンダーが大帝国を築いた時代からあった。「コスモポリタニズム」とか「世界市民主義」とも呼ばれている。
カント
大帝国が生まれ、小国の垣根が取り払われたのならば、自然と様々な民族との交わりが生まれ、個々の民族や地域よりも帝国全体で広く物事を考えるようになりますね。多民族国家の今のアメリカをイメージしてみるとわかりやすいでしょう。そして、その考え方を進めると世界の全ての人類が等しく同胞であるという考え方に行き着くようにも思えるのですが。
アリストテレス
しかし、私自身は現実社会における人間の交流を重視したいと考えている。想像してみてほしい。例えば言葉も通じない野蛮な異民族(バルバロイ)と価値観や理屈、法を共有することができるだろうか?
世界中の人間がみな等しいと言える根拠はあるのかな?
カント
ええ。私は言葉が通じない人間にも理性が備わっていて、人類全員に共通する道徳法則が与えられていると考えます。その具体例として、とても身近な例から考えてみましょう。今、あなたが駅のホームにいるとします。もし、あなたの目の前で、見知らぬ子供が倒れて血を流していたとしたら、あなたはその子がどこの民族の子供だろうが、必死になって助けようとするのではありませんか?
アリストテレス
もちろん助ける。だが、今、目の前で赤の他人の子供が血を流して倒れている一方で、あなたの子供も同じように血を流して倒れているとしたら、カントさん。あなたは真っ先にどちらを助けるかね?
当然、赤の他人の子供よりも、自分の子供を優先するのではないかな?
ロールズ
ちょっとよろしいですか。そのような場合でも家族や身内を助けるだけでいいのでしょうか。
せめて自分の子供を助けた後に他人の子供も可能な限り助けるべきではありませんか。
カント
その通り。それが人間の義務です!!
ロールズ
人間社会は広い同意に基づいて営まれています。例えば、身内がかわいいあまり、会社の中で縁故人事がまかり通れば、ほかの社員の同意を得られないでしょう。つまり人間には、自分の属性を超えて行動しなければならない原理があるはずです。
カント
国家間の場合も同じことが言えそうですね。
ロールズ
ええ。例えば、最近では難民問題が話題になっているようですが、豊かな先進国に対しては「赤の他人」であろうと、受け入れて助け合うことが求められています。自国のことで精いっぱいだから何も協力しないというのは、今の国際社会では同意を得られません。
アリストテレス
いや、そもそも全ての行為に対して、国際社会の同意を得る必要があるのだろうか?
人は生まれながらに人との繋がりなしでは生きられない社会的な動物だが、その繋がりとは「世界」とか「グローバル」とかいう抽象的で実態に乏しい言葉ではない。
最も自分に近い家族が基本で、そこから隣人、共同体へと広がっていく。まず我々が想定できる範囲は、自分が属するポリス(都市国家)となることだろう。身近なものを大切に思うことは決して不善ではない。言葉や価値観を共有しない異民族と、自国民を一緒にすることは不可能だ。
カント
アリストテレスさん。今の私達が生きる市民社会では、ポリス(都市国家)の中で一生を終えられるような時代はとっくに終わったのです。皮肉にもあなたが教えたマケドニアの王子が帝国を築き、あなたが理想とするポリス社会を解体しました。アリストテレスさんだって、あなたの愛するふるさとが他国に攻めこまれて蹂躙されることを善しとはしないでしょう。
アリストテレス
うーむ……。
ポリス(都市国家)の中で生きていた古代の人間の感覚は、もう古すぎると言うのか……。
カント
普遍的なルールを定めて戦争を防ぐことは、国や郷土を守ることにも繋がるのです。
私はそうした戦争を防ぐための方法について悩み、国家間でもルールを守り、国家の連合体を提唱しました。
今日実現している国際法と国際連合がそれに似ています。
ニーチェ
国際法と国際連合ねえ。そのルールはいったい、誰がどうやって決めるんだね?
何の権限があって我々を縛ろうとするのだろう?
私はそういう偽善的で「病的」な考え方が嫌いだね!
カント
それが、「病的」だと?
ニーチェ
そう。もっと力への意志を持ち自らの生を堂々と考えて、たくましく行動してもいいのではないかね。弱者への憐れみや自分達が弱くなることが善で、自分達が強く生きることが悪だとするキリスト教道徳は、私からすれば、強い者へのねたみに満ちあふれ、常に強い者に支配され続けようとする奴隷道徳だ!!
カント
すごい暴言を言い放ちますねぇ、あなたは。
しかし、人類の普遍的道徳としての義務はどうなるんですか? 無視するんですか?
ニーチェ
そのキリスト教が作ったような人類の普遍的道徳や義務といったものが否定されない限り、いつまでも人間は弱いままなんだよ。今こそ価値の転倒が必要なのだ。
ここでカントさん。あなたに問いかけるよ。もしその血だらけの子供を助ける代わりに自分が電車に轢かれて死んでしまうとしたら、どうする? それでも自分のしてほしいことを相手に施すとやらで、あんたはその子供を助けるのか? そこまで隣人愛を貫けるのか?
カント
ニーチェさん。私ならこうする。私は生きたい。つまり彼も生きたいだろう。なぜなら人間が生きることが、人間の尊厳なのだから。よって私は死ぬつもりなどない。私は、私も死なず、彼も死なないことを信じて助けます。迷いなく助けます。代わりに轢かれて死んでしまうことなど、私は考えない。
ニーチェ
それが病的なんだよ。健全な人間なら自分自身がまず大事だろう。そして強くなりたいと思うはずだ。それこそが自由ではないか! どうして率直にそれを認めないのかね。
あんたを縛っている呪縛の正体を教えてやろう。奴隷道徳から生まれたキリスト教だよ。だから我々が健全になるために神は死ななければならなかった。
神は死んだのだ!!
カント
いや、自分自身がまず大事だとか、強くなりたいというのは、人間ではなく、動物的本能に支配されている言説だと思います。そうした本能的な傾向性を排することに、人間の自由があるのです。この自由な意志によって「我が内なる道徳法則」が導き出されます。動物的自由と人間の自由を混同してはなりません。
ニーチェ
人間だって動物ではないか? 万人に当てはまる、普遍的ルールを大切にする前に、まず目の前にある自分自身である実存と、その人生を積極的に肯定し生きること、実に素晴らしいではないか!
何が悪いというのか? むしろ「健全」ではないか。
カント
いや、それこそ「病的」です。理性の放棄です。人生を肯定するためにも、よく考えてください。人類に共通する普遍的な道徳法則を求めれば、万人が納得する規範を導き出せます。例えば、「警察に捕まるから」などという理由がなくても、「殺人はしてはならない」とあなたが無条件で思うのならば、それは普遍的な義務と言えます。誰に縛られるものでもなく、しいて言えばあなたの中の普遍的な理性に命じられるのです。
アリストテレス
しかし、その道徳法則には、現実社会との関係性が全然考慮されていないな。道徳とはそんな観念的に取り出せるものではなく、現実の人間同士の社会的な関わりから生まれてくるものではないかね。殺人自体を善しとはしないが、殺さなければ自分や家族が殺されるという場合もある。道徳は、現実の社会的関わりから考えるべきだ。
カミュ
ちょっといい? 人間というのはカントさんが言うような理性的な存在では必ずしもないし、自分の行動の結果も、必ずしも論理的に導けるとは限らないよ。人間の運命はもっと不条理だし、考えた通りの結果を導けない。自分が助けた方の子供が今度は病気にかかって死に、助けなかった方の子供がしぶとく生き残ることだっていくらでもある。その不条理を直視して、自分の好きなように行動すればいい。
ニーチェ
その通り。普遍的な価値観などもう存在しないのだ。我々はニヒリズムの時代を生きている。
かつて西洋社会ではキリスト教が幅をきかせていたが、あらかじめ神が規定した道徳的価値は、神の死によって破壊された。これからは自らが価値を創造しなくてはならない。
ロールズ
ちょっといいですか。あなた達は、自分達の自由がグローバリズムによって制約されると考えているのかもしれませんが、私はむしろ、個人主義・自由主義の立場から、公正な分配を約束する万人に共通するルール(万民法)の必要性を主張しているのです。
カミュ
その「万人に共通するルール」というものも、現実には世界で最も力を持った国が決めてしまうのでないかなぁ。例えば、ロールズ、あんたの国のアメリカのような。
ロールズ
カミュ、あなただって、ファシズムの嵐が吹き荒れた20世紀を実際に経験したはずだ。国際的規範が失われ、各国のナショナリズムが暴走した結果が、ナチズムの悪夢を生んだのだ。
ニーチェ
私に言わせれば、グローバリズムもナショナリズムもともに論外だ。
両方とも誰かの奴隷ではないか。他者から命じられたままに義務を背負うのではなく、自らの意志で自分の生き方を決めなければならない。
ソクラテス
そもそもグローバルかローカルかという議論自体を否定するとな?
ニーチェにとっては、自分の意志が全てなんじゃのう。
ロールズ
個人が大事というのは私も同感ですよ。特定の共同体へ帰属するということは、個人の同意なしにおかしな義務を背負うことにもなるんです。特定の集団への帰属は、国益の分配のような恩恵だけではなく、出自や所属による差別を生み出す原因にもなりかねません。
アリストテレス
いや、自分が属する共同体から、完全に独立したまま、あらゆる義務も受け付けないなどということは不可能ではないかな。私達は、自らの生きる社会の中で自らの能力を最大限に発揮し、人間は善を全うしているのではないだろうか。
ロールズ
そうでしょうか? かつて私の別荘を管理してくれていた友人は、先住民だからという理由で学校に行けなかったことを私に打ち明けてくれました。彼は何も悪いことをしていないのに、それを引き受けなければならない。個人の同意なく、自らが属する共同体の歴史や責任、義務を、ある種「物語」として引き受け、背負わされることが道徳的に正しいとは言いがたい。
カント
ちょっとよろしいですか。「義務」という言葉が様々な意味で使われているようなので、整理させてください。アリストテレスさんが指摘した「共同体的義務」。ロールズが言う「同意によって初めて発生すべき義務」。そしてこの他に、私は「人類の普遍的義務」があると考えます。ニーチェやカミュは「普遍的」という言葉に過剰に反発しますが、個人の意志なり実存だと思った行為の選択こそが、実は人類全体に共通する普遍のルールだったとしても何の矛盾もはらまないのではないでしょうか。
ガンディー
私も一言申し上げてもよろしいですかな。グローバルかコミュニティか。確かに迷うところでしよう。しかし私には、両方の立場が実は相互に関わり合っているように思えるのです。
ソクラテス
ほう、まったく相反するわけではないと? あなたはインド独立運動の精神的な指導者ですよね。
その意味では、民族主義、コミュニティの立場かと思いましたが。
ガンディー
ええ、そうです。私はイギリスの塩の専売法に反対するため、インド北西部の海岸まで歩きました。塩を作るために、そしてインドの独立を勝ち取るためにです。その意味では民族運動でした。案の定、海岸には多くの警官隊が待機していて、私達を殴りつけました。しかし私達は精神的抵抗として、非暴力を貫いたのです。
アリストテレス
それが、あなたの共同体への義務の果たし方だったのですね。
ガンディー
ええ、そうとも言えるでしょう。しかし、私が強調したいのは、この運動のもう一つの側面です。
私達の運動は全世界に報道され、イギリスの植民地政策に対して国際的な批判が巻き起こったのです。
私達の非暴力運動は、独立をインド国民に訴える民族運動であると同時に、全ての人類を同胞としてみなすよう国際世論に訴えるグローバルなものでもあったわけです。
共同体への愛と人類への愛は矛盾するものではないのです。実は相互に関わり合っているのだと私は思っています。
ソクラテス
なるほど。グローバリズムが進む中で、忘れ去られていく故郷や共同体への危機感が出始めている。アリストテレスは、自身の共同体の中での社会的役割を強調した。一方、ロールズは共同体に帰属することで個人が同意していない負荷がかかる危険性を指摘した。またカントは、共同体や同意を超えた普遍的な義務を説明してくれた。ニーチェとカミュは、そのどちらでもなく、自分の実存が大切という立場じゃな。そして最後のガンディーは、両者の相互的な働きを説明してくれた。
民族を意識する時、また違った民族への信頼を意識する。そしてそれはともに同胞として関わり合い、お互いを支え合っている。この対立する二つの立場をまとめあげるガンディーの論理が、私には美しく響いた。
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<著者プロフィール> ●畠山 創:北海道生まれ。早稲田大学卒業。専門は政治哲学(正義論の変遷)。現在、代々木ゼミナール倫理、政治・経済講師。情熱的かつ明解な講義で物事の本質に迫り、毎年数多くの生徒を志望校合格に導く。講義は衛星中継を通して約1000校舎に公開されている。「倫理」の授業では哲学的問いを学生に投げかける「ソクラテスメソッド」を取り入れ、数多くの学生に「哲学すること」の魅力・大切さを訴え続けている。
岩元 辰郎●フリーイラストレーター。法廷バトルアドベンチャー『逆転裁判』シリーズや『バクダン★ハンダン』などのゲームや、アニメーション『モンスターストライク』等のキャラクターデザインを担当している。