『マネー・ボール』から12年。超弱小球団・パイレーツを20年ぶりの勝利に導いた驚異の「ビッグデータ」分析方法
公開日:2016/5/16
ヤンキースのエース格として活躍する田中将大や、メジャー1年目から好投を続けるドジャース・前田健太。あるいはメジャー最年長野手となったマーリンズのイチローなどなど。メジャーリーグ(以下MLB)で活躍する日本人選手の姿は、熱心な野球ファンでなくてもテレビで見ることがあるだろう。
そんなMLBの中継を見ていて、近年、驚く光景がある。それは「守備シフト」。多く球団が相手打者や状況によって、内野手が1人を残して一塁側に集まったり、ショートがセカンドベースの真後ろに立ったりと、各野手が、いわゆる従来の「定位置」から大きく離れた場所を守っているのだ。
野球において野手が状況に応じて何歩分か守備位置を移動する程度の守備シフトは日常的である。また、かつて日本でも本塁打を量産する王貞治(元巨人・現ソフトバンク名誉会長)対策として、野手が一塁側に寄る「王シフト」が敷かれたこともあった。ただ、あくまでそれは「奇策」。現在のMLBでは、この極端な守備シフトが、チームによって数の差はあるが、かなり日常的に敷かれているのである。
もちろん、これは相手選手の打球データを分析し、シフトを敷いた場所へ打たせるための投球をするという戦術と準備があった上で行っている。だが、三塁側がガラ空きになった内野を見たりすると、あそこへ打てば簡単にヒットになるのではないか……などとつい思ってしまう。言い方を変えると、守備シフトもさることながら、よくあそこまで分析データを信じられるものだ、という点もまた驚きなのだ。
前置きが長くなったが、MLBで常識となったこの極端な守備シフト、実は、各チームが断行し始めるきっかけとなった、あるチームの結果、いや「事件」があった。
あるチームとはピッツバーグ・パイレーツ。2012年までメジャー最長、20年連続負け越しを続けていた弱小チームである。そのパイレーツが2013年、プレーオフに進出。以降、毎年、好成績を挙げるチームに変身した。それも大金を投じずに。要因は、これまでの野球の常識を覆す大量にして詳細なデータを、斬新な視点で分析した結果を戦術として採用したこと。いわば「ビッグデータ」の活用であり、その象徴の一つが極端な守備シフトの多用であったのだ。
そんなパイレーツの取り組みと快進撃をまとめたのが『ビッグデータ・ベースボール 20年連続負け越し球団ピッツバーグ・パイレーツを甦らせた数学の魔法』(KADOKAWA)。著者のトラヴィス・ソーチックは、パイレーツのいわゆる“番記者”。弱小球団の変貌に驚き、その理由を探ったことが本書の刊行につながった。
では、パイレーツのデータ分析は何が優れていたのか? それは「着眼点」と「運用」である。
「ビッグデータ」自体は、他の球団も入手することはできる。故に他球団を出し抜くには、その膨大なデータから、斬新な「着眼点」に導かれた、誰も気づいていない「価値ある数値」を見つけ出すことが重要。パイレーツも、それまで数値化されることのなかった勝利に結びつくあるデータの重要度に気づき、後の躍進の大きな力となった。
その詳細は本書を読んでほしいが、もうひとつ見逃せないのは、パイレーツが守備シフトも含め「発見」されたデータに基づく戦術を、チームに浸透させ、指揮官や選手たちに納得してもらい、試合で迷うことなく実行できたこと。すなわちデータを宝の持ち腐れにしなかった「運用」だ。それはデータ分析官の採用といった人事、選手に理解してもらうためのデータの見せ方、伝え方の工夫、周到な準備などなど多岐にわたる。データを生かすという意味では、もしかしたら、「着眼点」以上に、重要なポイントだったのではないだろうか。
こうした「ビッグデータ・ベースボール」の進化の背景にあるのは、技術の進化だ。
たとえば2008年よりMLB全球団のスタジアムに設置されているPITCHf/x。これはピッチャーが投げたボールの球速、投球軌道を追跡するシステム。これによって選手の評価基準やプレーの分析は著しく詳細になった。現在では野手の守備や走塁を分析するトラッキングシステムも登場。いずれも選手の能力のうち、主観で判断せざるを得なかった少なくない部分の数値化を可能にしつつある。プレーのみならず、選手の故障についてもデータを基に予防はできないか模索している球団もあるというから驚きだ。
野球ファンの中には、かつて野球のデータを統計学的アプローチで分析し、新たな選手評価基準と戦略を生み出して一世を風靡した『マネー・ボール』を覚えている人も多いだろう。だが、『マネー・ボール』の刊行は既に10年以上前。本書はMLBのデータ分析がさらに新たな領域へ足を踏み入れていることを教えてくれる。
ちなみに『マネー・ボール』はブラッド・ピット主演で映画化された。もし本書も映画化されるならば、主役は23歳でパイレーツのデータ分析官となったマイク・フィッツジェラルドがふさわしいのではないだろうか。選手経験のないスポーツ好きの若き数学の天才。彼がパイレーツに関わっていき、目をつけた分析データと戦略がチームに受け入れられ、21年ぶりの勝ち越しとポストシーズン進出という成功をつかむ。その過程と結果は、「着眼点」と「運用」というポイントを端的に伝えてくれると同時に、映画にふさわしいドラマ性を帯びている。フィッツジェラルドのような人材を球団が雇うチャレンジング・スピリットもあっぱれ。日本の球団の刺激にもなるのではないだろうか。
文=田澤健一郎