野生のペンギンが人に寄ってくるのはなぜ? 鳥の不思議な生活と能力に迫る
公開日:2016/5/24
鳥にも感情がある――。そう言われて、人はどう思うだろうか。意外に思う人も居るかもしれないし、逆に何を今更わかりきった事を、と呆れて肩を落とす人も居るだろう。特に鳥を飼った事がある人などは「鳥にも感情がある? そんな事、当たり前だ」と強く頷くかもしれない。
ともあれ、事実はどうかといえば、答えは「YES」だ。少なくとも、敵に襲われる恐怖、得体の知れないものに対する好奇心や懐疑心などは、確実に在るだろう。『鳥の不思議な生活 ハチドリのジェットエンジン、ニワトリの三角関係、全米記憶力チャンピオンVSホシガラス』(ノア・ストッカー:著、片岡夏実:訳/築地書館)では、著者が実際に取材した内容から、知られざる鳥の生活が窺い知れる。
ペンギンの例をとってみよう。彼等は、どうもエサを取る為に海に潜る際、最初に海に飛び込む事を恐れるらしい。これは、天敵(ヒョウアザラシ)が海中に居る可能性をペンギンたちが予測している為と考えられているが、他にも「暗い海」そのものを恐れている可能性も指摘されている。最初に行動する事を恐れる、暗い場所を恐れるというと、いかにも人間の恐怖と似通ったものを感じるのではないだろうか。
ちなみに、ペンギンは人懐っこいという話があるが、これは彼等が暮らす場所が、そもそも人が滅多に立ち入る事のない場所であり、その為人間という存在がどういうものなのか、敵か味方かが判断できないが故に寄ってくるのだと言われる。つまり、懐いてくるのではなく、いわば敵か否かを見定めに来ているのである。得体の知れない者に対する好奇心と懐疑心、という訳だ。こういった行動は、人間の子供を思い浮かべてもらえば良い例になるだろう。何だかよくわからないから、とりあえず近づいてみるという訳だ。はなはだ無用心にも思えるが、これは相手の正体を見極める為、そして万が一相手が敵だった場合は自分と仲間の身を守る為、本能にプログラムされた行動なのだ。
本書のサブタイトルのひとつにもなっている“ニワトリの三角関係”だが、これを解説する前に、まず“ニワトリのつつき行動”について説明させてほしい。ニワトリやその雛を複数で狭い空間に閉じ込めた場合、必ず“つつき順位”というものが形成される。強い個体が弱い個体をつつき、誰がどいつをつつくのかが順位として位づけされるのだ。ちなみに、順位の高さに直結するのは、主に身体の大きさだ。その順位の最上位に位置した個体は、群れの他のニワトリを全てつつく事ができるし、またつつき返される事は無い。第二位の個体は、最上位以外の他のニワトリをつつく事ができるが、唯一最上位のニワトリからのみはつつき返される……といったものが、所謂“ニワトリのつつき行動”の簡単な概要だ。
さて、三角関係についてだが、これは群れのつつき順位が一定していない状態で生まれるものだ。例えば、A・B・Cの個体が居たとして、AはBをつつき、BはCをつつくが、CはAをつつく事がある……といったような具合である。勿論だが、理想的なつつき順位が形成されている群れでは、このような現象は起こらない。つまり、ニワトリの三角関係が現れているという事は、その群れのつつき順位が不完全である事を示している訳だ。ちなみに、群れのニワトリの数がおよそ三十を超えると、このつつき順位は完全に機能しなくなる。これは、ニワトリ同士の個体識別が困難になる為……端的に言ってしまえば誰が自分より上でどいつが自分より下かが覚えられなくなる、という訳だ。こうなれば、ニワトリの群れはつつき順位による階層社会から一変し、平等主義の一団に変貌する。
平等主義の一団と聞くと、何と素晴らしいと思われるかもしれない。確かに、不平等よりは平等の方が良いだろう。だが、そのような理屈で割り切れないのが生物というものだ。引き続きニワトリの例で考えると、群れの構成数が増え、つつき順位が崩壊しても、本来備わっている攻撃性が消えるわけではない。しかし、つつき順位が崩壊している以上「つついて良い相手」は存在しない事になる。そうなると、抑え切れなくなった攻撃性はどういう形で発露するか? そう、相手を選ばない無差別攻撃として現れるのだ。平等社会が、理不尽な暴力を生むとは何たる皮肉だろうか。このニワトリ社会を、現在の人間社会に置き換えて、真の平等社会とはどういうものかを考えてみるのもいいかもしれない。
文=柚兎