もしも記憶を消せるとしたら……? 切なさあふれるノスタルジック・ホラー『記憶屋』織守きょうやインタビュー
公開日:2016/6/6
誰の人生にも、ひとつやふたつ忘れたいことがあるだろう。手ひどい失恋、トラウマになるほどのつらい経験、大切な人を傷つけた不用意なひと言、酔ってさらした醜態。もしも記憶を自在に消せる人物がいたとしたら、あなたはそれを頼むだろうか。それとも、たとえ苦しくとも記憶を消さずに生きるだろうか。
『記憶屋』は、忘れたい記憶を消してくれるという都市伝説の怪人をめぐるノスタルジック・ホラー。2015年に第一作が日本ホラー小説大賞読者賞を受賞し、このたび続編が刊行される運びとなった。
織守きょうや
おりがみ・きょうや●1980年、ロンドン生まれ、兵庫県在住。2013年、第14回講談社BOX新人賞Powersを受賞した『霊感検定』でデビュー。15年、『記憶屋』で第22回日本ホラー小説大賞読者賞を受賞。現在、弁護士として働く傍ら小説を執筆している。他の著書に『301号室の聖者』など。
「趣味で小説を書いていた頃、病気によって記憶が消えてしまう話を執筆しました。そこから『意図的に消したい記憶を消せるとしたらどうなるだろう』とストーリーを発展させ、都市伝説と結びつけたのが『記憶屋』の原型です。当初は記憶屋をモチーフとした連作短編集でしたが、日本ホラー大賞に応募する際、遼一を主人公に据えて長編に改稿しました」
前作の主人公・遼一は、先輩の杏子に想いを寄せる大学生。しかし、杏子は過去のある体験から夜道恐怖症に悩まされており、遼一の好意が逆に彼女を追い詰めてしまう。そんなある日、杏子からトラウマとともに遼一の記憶がすっぽりと消え落ちた。これは記憶屋のしわざなのか。つらい記憶を消せば、人は幸せになれるのか。記憶から消された側の思いは、どこに向ければいいのか。いくら考えても答えは出ず、考えるほどに胸がキュッと締め付けられる。前作は「切ないホラー」として話題を呼び、多くの読者の喝采を浴びた。
「『切ない』というご意見がいちばん多かったのですが、中には『これ、すごく怖い話じゃない?』と言ってくださる方もいて。おそらく主人公と記憶屋、どちらに感情移入するかによって反応が分かれたのだと思います。いろいろな感想を抱いてほしかったので、うれしい反響でした。記憶屋に対しても『哀しい運命だ』ととらえる方もいれば、『なんて勝手なんだ』と憤る声も。私自身、どちらの意見にも共感できるんですよね。自分の記憶は消されたくありませんし、自分が誰かに忘れられるのも嫌。でも、どうしても記憶を消したいという人を邪魔するつもりもなくて……。さまざまな意見を受け、続編では記憶屋がその後何を思っていたのかにも言及しています」
続編の舞台は、前作の約10年後。主人公も女子高生の大崎夏生に代わり、記憶屋をめぐる新たな物語が展開されていく。中学時代、夏生とその友人たち、さらに学校近くのパン屋の店員の記憶が消えてしまう事件が起きた。不可解な事件と話題になったものの、いつしか騒動は収束。しかし、知人の記憶を消された新聞記者の猪瀬は、単独で記憶屋の動向を調べ上げていた。やがて、4年の時を経て記憶屋が活動を再開したと突き止め、彼は夏生とともに記憶屋の正体を探りはじめる。
「前作を書き終えた時点では、続編を執筆するつもりはまったくありませんでした。編集者の勧めで続編の構想を練りはじめましたが、一度は区切りをつけた話なのでそのまま続けるのは難しくて。編集の方からは『同じ街を舞台にした、別の話でもいいですよ』『記憶屋ではない他の都市伝説をテーマにしてもかまいません』と提案していただきましたが、最終的に前作とゆるやかなつながりのある続きものに。続編だけでも独立して楽しめるうえ、前作を知る人の疑問も解消できるような話にしました。思いのほか長くなったため二分冊にしましたが、『2』と『3』でひと続きのお話です」
記憶を消したいという願いはそもそも自分勝手なもの
前作では恋愛をめぐる記憶を扱っていたが、続編で描かれるのは友情。夏生とその友人のほか、モデルの片山リナ、人気料理人の毬谷柊もそれぞれの事情から記憶を消したいと願うが、その根底には大事な人への友情が横たわっている。
「確かに、友情というゆるやかなくくりは意識しました。ただ、前作と大きく違うのは、今回は自分勝手な理由から記憶を消したい人も描いている点です。前作の登場人物は、記憶を消さないと救われない人たちばかりでした。でも今回の登場人物は、リナにしても毬谷にしても社会的に成功し、他人から羨まれるような存在。そんな彼らが人間関係に関する些細なことで思い詰め、記憶屋に記憶を消してもらいたいと願うようになります。ただひたすら他人のことを思って記憶の消去を願っていた前作の登場人物に比べると、今回のキャラクターはわがままに思えて共感しづらいかもしれません。でも、記憶を消したいという思いは、そもそも自分勝手なもの。傍から見れば『なにも記憶を消さなくてもいいのでは……』と思うようなことでも、当人たちはそれ以外の方法はないと思い詰めてしまうことはあるはずです。続編では、こうした気持ちをより表層化させています」
共感を得るのが難しい分、執筆にも苦労が伴った。中でも、苦戦したのが毬谷のエピソードだという。「キッチンの貴公子」として、テレビで華やかな活躍を見せる毬谷。しかし、ある時から記憶の一部が消えてしまう。毬谷はなぜ“それ”を忘れたいと願ったのか。その真相は、意外にも微笑ましいものだった。
「こじらせてますよね、彼(笑)。だからこそ事件を起こしてしまうのですが、気になる人に意地悪をしてしまう小学生のようで、どうにも好感が持てる人物にならずに苦労しました。修正に修正を重ね、なんとか『中二病かな?』ぐらいのところまで持っていきましたが、読者の方をイライラさせないか心配です。『こじらせているけれど、それもかわいい』と思っていただけたらうれしいです」
前作よりも面白くひねりのあるオチに
夏生、リナ、毬谷をめぐるエピソードを経て、ラストに明かされるのは記憶屋の意外な正体。前作と同じ人物なのか、それとも新たな記憶屋が暗躍しているのか。続編では結末にさらなるひとひねりが加わり、衝撃度がグッと増している。
「続編を書くからには、前作よりも面白い小説にしたいですよね。記憶屋の正体についても意外性を重視し、まず『3』の結末を決めてからストーリーを組み立てていきました。前作を読まれた方は記憶屋の正体をご存じですが、『続編だから別の記憶屋が出てくるのかな』『やっぱりあの人かな』と楽しんでいただけるよう、若干のミスリードも入れています。前作を読んだ方ほど驚きを感じていただけるのではないかと思います」
ホラー作品はオチがなくても成立する。むしろオチがないからこそ怖いとする向きもある。しかし「記憶屋」シリーズは、ミステリーのような着地の鮮やかさが持ち味だ。
「私自身、ミステリーを読んで育ちましたし、綾辻行人先生、有栖川有栖先生のような新本格ミステリーに『なんだこれは!』と衝撃を受けたくち。そのせいか自分が小説を書く時も、ひねりを入れたり二転三転させたりしないと不安を感じてしまうんです。でも、個人的には必ずしもそれが良いことだとは思わず、オチがなくても面白いホラーを書けるようになるべきだと考えています。『記憶屋』も『怖くない、ホラーじゃない』と言われることが多いので、いつか『これがホラーだ!』と胸を張れるような小説を書きたいですね」
「記憶屋」シリーズは『3』で終幕を迎えたが、今後もホラー、都市伝説について書き継ぐ気持ちはあるとのこと。さらには、ホラーやミステリー以外のジャンルにも意欲を見せている。
「お名前を出すのもおこがましいのですが、京極夏彦先生のような作家にあこがれます。『嗤う伊右衛門』のような時代小説も面白ければ、美少女が戦うSF小説を突然書かれて、それも非常に面白い。幅広い世代の方が読みたいものを書き、そのすべてが面白いなんてすごいですよね。京極先生は殿上人すぎますが、いろいろなジャンルを書けて、しかもどれも面白いというのが理想です。そのジャンルでないと書けない話もあると思うので、書きたくなった時に書けるよう、常に幅を広げていきたいと思っています」
とはいえ、まずは『記憶屋』続編を楽しんでほしいと織守さん。
「前作を読み、記憶屋や主人公に共感できなかった方、どちらが正しいかわからないと思った方にも読んでいただけたら。あまり小難しく考えず、楽しんでもらえればうれしいです」
取材・文=野本由起 写真=首藤幹夫
4年前、大崎夏生の周辺で不可思議な事件が起きた。彼女が通う中学校の近くで、パン屋の店員が記憶喪失になり、時を同じくして夏生と友人たちの記憶も消えてしまったのだ。「事件には、他人の記憶を消すという都市伝説の怪人“記憶屋”が関わっているらしい」。新聞記者の猪瀬からそう聞かされた夏生は、彼と共に事件の真相、そして記憶屋の正体に迫っていく。