新選組が殺した人数は敵よりも味方の方が多かった! 内部事情を粛清された人々の視点から探る

社会

公開日:2016/6/13


『新選組 粛清の組織論』(菊地 明/文藝春秋)

 現在放送中のNHK大河ドラマ『真田丸』の視聴率が好調だ。ここ数年、低視聴率が続いただけに話題になっている。年配の方からはふざけているとの声も多少あがっているようだが、脚本を手がける三谷幸喜らしいポップともいえる演出は親しみやすく見ていて楽しい。三谷幸喜といえば、2004年の『新選組!』も好評だった。こちらも香取慎吾演じる局長・近藤勇を中心に仲間たちの絆が描かれつつ、笑えるシーンもちりばめられ、日曜の夜が明るくなるドラマだった。元々歴史好きには人気のある新選組だが、さらにファンを増やしたに違いない。

 今でこそ幕末のヒーロー的扱いを受ける新選組だが、昭和3年に子母沢寛が『新選組始末記』と題した小説を著すまで、血も涙もない人殺し集団として一般的には嫌われていたことをご存じだろうか。しかも、敵のみならず味方まで多くの人が殺しているという。『新選組 粛清の組織論』(菊地 明/文藝春秋)では、新選組が屯所とした西本願寺の侍臣・西村兼文の『新撰組始末記』や、元幹部隊士・永倉新八の『新選組奮戦記』など、当時を知る人々が残したあらゆる史料を丹念に読み解き、新選組の内部で殺された人々を考察した一冊である。

 まず、新選組には次のようないわゆる局中法度があった(当時の史料を見る限り、「局中法度」などと誰も呼んでないらしいが…)。

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第一士道背くこと、第二局を脱すること、第三勝手に金策を致すこと、第四勝手に訴訟を取り扱うこと、四箇条を背くときは切腹申し付くること、またその宣告は同志の面前で言い渡すと定(き)めた。
『新選組奮戦記』

 隊士が増えるにつれて、農民や町人、下級藩士の脱藩者からなる烏合の衆をまとめるものとして必要とされたのだろうが、いくらなんでも切腹とは性急に過ぎる。本書によると、正規の武士であれば、改易や蟄居、隠居などの罪に応じた刑罰があったものの、それは守るべき家があるからこそであり、身ひとつの隊士たちには守るべき家も名誉もなかったからだとする。それにしても、何か不祥事があれば簡単に殺されそうな感がある。

 実際、本書によると殺した敵が26人であるのに対し、殺した味方は40人にのぼるという。殺された理由は、局長批判、脱走、金策、脱退志願、反幕活動、士道不覚悟などが挙げられている。中でも有名な2人について取り上げてみよう。

近藤勇と並ぶ初代局長・芹沢 鴨

 新選組の前身である壬生浪士組創設時の局長は、芹沢鴨と近藤勇。水戸藩郷士の芹沢を中心とするグループと、多摩の農民上がりの近藤勇を中心とするグループから成っていたからだ。彼らをまとめるのは「尊王攘夷」の一点であり、芹沢グループと近藤グループの間には「攘夷」に対するスタンスが違ったとされる。水戸藩出身の芹沢が藩の教えにより朝廷第一に考える「尊王敬幕」であるのに対し、近藤らは幕府を第一とする「尊王親幕」だった。

 さらに、芹沢は型破りで酒癖が悪い乱暴者だったことで知られる。芹沢の金策を断った生糸問屋・大和屋の襲撃事件は新選組ファンの間では有名な話。この事件をきっかけに新選組を預かる会津藩から芹沢の“処置”を命じられた近藤は、これを殺害指令と捉え、芹沢グループの平山五郎や芹沢の愛妾・お梅らとともに寝込みを襲って殺害している。

新選組ナンバー2・山南敬助

 山南敬助は、近藤勇が多摩の天然理心流剣術道場の四代目宗家を務めていた頃からの同志。文武両道でグループのブレーンでもある山南は、壬生浪士組創設時、土方歳三とともに副長の座にあった。しかも、本書は史料を見る限り、近藤グループの中では土方歳三よりも格上で、近藤に次ぐ二番手に位置づけられていたと考察する。

 ところが、慶応元年2月に突如脱走を図り、すぐに沖田総司に連れ戻され切腹し果ててしまう。なぜ規律違反を犯したのか、理由は史料に残っていないため判然とせず、諸説ある。本書では、より親幕に傾倒していた近藤が反幕派の長州藩とつながりが深い西本願寺を監視下に置くべく、西本願寺を新選組の屯所としようとしたことに山南が反対し、山南はそれが近藤に受け入れられなかったために諌死を遂げたとする。近藤は同志である山南の死を望んだはずはないが、局長と副長の対立という事態を隊士に伏せたかったのだと考える。

 つまり、新選組は敵を殺す以前に組織の内部抗争が絶えなかったわけだ。それは、「尊王攘夷」はともかく、幕府に対する態度という点で思想の違いが局長以下をぎくしゃくさせる原因のひとつになったようだ。親幕として組織をまとめた結果、慶応3年、新選組は隊士全員が幕臣となり、近藤は旗本に取り立てられている。

 ただ、粛清を繰り返したことで新選組ばかりを非難することもできない。この時代、長州や薩摩など活発な動きを見せた藩はいずれも、親幕か反幕か、はたまた攘夷か開国かで揺れ動き、内部粛清によるさまざまな事件が起こっている。ご存じの通り、幕府は倒され開国へと突き進んでいくわけだが、その中で新選組は粛清を繰り返すも時代に取り残され散っていった哀しい組織といえる。

文=林らいみ