ある出版社の挑戦~ボランティア出版に刷り込まれた情熱とは?『かたりべ文庫 職人の手仕事』

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/14

福岡県は博多にある鍛冶工場を訪ねたときのこと。「この本、良かとよ」と、ご主人が嬉しそうに一冊のムック本を見せてくれた。『かたりべ文庫 職人の手仕事 博多包丁 大庭利男』(ゼネラルアサヒ)――目の前にいる“博多包丁の最後の鍛冶職人”大庭利男さんを主題とした本だった。

大庭さんの人柄や生き方、博多包丁の鍛冶という仕事の魅力が、丁寧な文章や構成、現場の空気を感じる写真から伝わってきた。いい本だ、手に入れたいと思った。

ところが、大庭さんは不思議なことを口にした。

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「この本、俺のことば取材に来よるテレビの人たちもみんな買いよる。ばってん、本屋には売っとらんけん」

調べると『かたりべ文庫』は、福岡に本社を置く印刷会社・株式会社ゼネラルアサヒが「ボランティア出版」しているシリーズ本で、書店などでは販売されていないとわかった。出版不況の時代に、このクオリティの書誌を「ボランティア」で出版する会社の理念、『かたりべ文庫』をつくる人々の思いを知りたい。

そこで、かたりべ文庫編集部・編集長の土井国男さんと、入社30年以上のベテラン社員・平田真一さんにお話をうかがった。

地域社会への思いとチャレンジ精神が創刊の「原点」

『かたりべ文庫』が始まったのは平成元年(1989年)。以来、25年以上にわたり、毎年1冊ずつ刊行され続けている。そのきっかけは――

平田「創業者の2代目となる現社長の松岡弘明が社長に就任した時に、印刷技術を通して地域社会にささやかでも貢献したい、社会とつながる媒体が欲しいと出版事業を始めました。“自分たちの編集制作力へのチャレンジ”“製版や印刷技術へのチャレンジ”の思いもありました」

「人」を通して、九州の歴史、伝統文化、芸術、海外交流などさまざまな分野を「かたり部」として本に記録し、次代へ残していきたい――その思いが、ボランティア出版という形で『かたりべ文庫』を生み出した。

1000~1200冊と部数は少ないながらも、筑紫舞の西山村光寿斎氏や人間国宝の有田焼の陶芸家・十四代酒井田柿右衛門氏をはじめ、九州にゆかりのある芸術家などを取り上げ、25年以上にわたり30冊を越える本を刊行している。

学び、記録し、伝えるためにつくる本

そして2009年、20周年を機に『職人の手仕事』シリーズを立ち上げたことで、ボランティア出版の色合いが強まった。

シリーズ第1巻は『博多包丁 大庭利男』。60ページのカラームックの主役は、人間国宝でもなければ、芸術家でもない。町の工場で働く、ひとりの熟練の鍛冶職人だった。なぜ、職人だったのか――

平田「『職人の手仕事』で紹介している職人さんたちは、本当にその仕事がお好きで打込んでこられた人たちです。今の時代に合わない、古臭い、効率的ではない、と思われがちな事や物かもしれませんが、私たちの生活の中で使ったり、世話になったりしてきた物を、手作りしている方たちです。スポンサーもありません。その人、技、道具、材料など先人の知恵の宝を、“学び、記録し、伝えたい”からです」

深刻な後継者不足への危機感。職人の仕事、技術、材料ひとつひとつを克明に記録し残すと同時に、職人の仕事を1人でも多くの人に知ってもらいたい――「職人の仕事の記録と応援」というテーマで、数々の職人たちが主役となった。

博多包丁、博多曲物、大工、硯司、竹細工、来民渋団扇、まこじ凧、天然樟脳、博多鋏、フランス菓子、手吹き硝子、左官、線香花火、名尾和紙、組子、水車場お香、活版印刷、日本刺繍、屋根師、時計修理士、醤油、日本酒……現在22巻まで続いている『職人の手仕事』は、筆者個人としては興味のあるものばかりだが、地味さは否めない。その上、印刷会社の業務と直接関係ない分野の職人・職種がほとんどである。

でも、だからこそ、強いメッセージを感じるのだ。

学びながら作る~本気度が伝わらなければ職人も教えてくれない

一般的なイメージからすると職人というのは気難しく、繊細な作業を行うもので、取材するのは難しいように思える。題材選びや取材方法は――

土井「扱うのは、日常生活に必要な物を作る・守る職人です。候補の職人を編集者が見学者として訪問し、話をうかがった上で、取材の可否を決めています。5人の職人を同時並行で、半年取材、半年編集デザイン、半年印刷製本といったスケジュールで作っています」

1人の職人に、十数回の取材を行うという土井編集長だが、半年で十数回というのはかなり頻繁だ。その上、事前準備はしないというが、嫌な顔はされたりしないのだろうか――

土井「取材が本番であり、学びながらつくっています。またかと言われるほど何度も訪問し、わからないことは質問を繰り返します。本気度が伝わらないと、職人も教えてくれません。本気で職人の仕事を学ぶ姿勢を忘れず、形やつくる工程に終わることなく、そこに込める職人の想いをどう引き出すか――これを最も大切にしています」

この姿勢は、取材される側にも間違いなく伝わる。「大変やね、昼飯一緒にどう?」と誘われた時に、本音の話が聞けると土井さんは言う。取材最終日には「終わり? 寂しくなるなぁ」と、夕方から酒盛りになって、翌朝帰ったこともたびたびあるそうだ。

そうやって取材で得た情報は、60ページという限られたページの中に、濃縮される。それぞれの分野の歴史、職人の人生、仕事の手順、道具などが写真付で解説されている。どの項目も、長すぎず饒舌すぎず、それでいて専門的な作業手順も写真が豊富に使われていてわかりやすい。「伝えること」を意識した誌面づくりにこだわりを感じる。

職人の息づかいや職場の空気を感じるような写真にも――

土井「現場では、職人同様、カメラマンも作業服で材料まみれ、埃まみれで撮影をします。職人が仕事にならんとボヤクくらいにつきまとって。十数回にわたって同じカットを膨大に撮影するため、編集で大変な思いをすることになります」

どの巻も、最終ページには、見開きで「職人の手」のアップの写真が掲載されている。扱うものや材料によって、その手の汚れも傷も異なる。それが、とてもいい。大きく開かれた手のひらは、「ようこそ職人の世界へ」と誘うようであり、「次の世代へつないでほしい」とバトンタッチしているようにも見える。

ボランティア出版の反響とこれから、そして――

20年以上続けてきたボランティア出版『かたりべ文庫』の認知度は決して高いとは言えない。しかし、高い評価を得て出版社から刊行されたり、本がきっかけで職人を目指す弟子の入門があったり、地元の応援を得て仕事が継続できたりと、少しずつだが「かたり部」の思いは届き始めている。今後の展望は――

平田「弊社は“原点”という言葉を大切にしていますから、『かたりべ文庫』や『職人の手仕事』など、記録し、伝えなければと思う人やモノに出会ったときに、地域貢献として、今後も進めていきたいと思います。私共には、写真や映像撮影やコンピューターグラフィックス、デザイン編集、web制作の機能と印刷製本工場もあります。情報を伝えることが会社の本業ですから、これらの機能を十分生かして、スタート時の精神を持ち続けていきたいと思います」

印刷会社としての蓄積された高い技術、本の作り手の思い、取材される人々の生き様がひとつになって、初めて『かたりべ文庫』はできている。そこに印刷されているのは、写真や文章だけではない――人の心だ。
開いた本から心が伝わってくること。それが、ゼネラルアサヒが創業以来積み重ねてきた印刷技術の真髄なのだろう。
失敗談などはありませんか、という問いに、ためらいも迷いもなく、土井さんは言った――「残念ながら失敗談はありません」と。

土井さんも平田さんも、会社や仕事を語る言葉にゆらぎがない。本気で職人と向き合い、ただ伝えたいことを伝えるために本を作りつづけるかたりべ文庫編集部の、熱い志とプライドを感じた。ここにも、職人たちがいる。

『かたりべ文庫』の挑戦は、これからもつづく。いつか、このシリーズに『職人の手仕事・本づくり かたりべ編集部』が加わる日を楽しみにしている。

取材・文 水陶マコト

■かたりべ文庫の問い合わせ先
株式会社ゼネラルアサヒ
かたりべ文庫