少年A、ネオむぎ茶…80年代前半生まれだけではなく、すべての人に読んでもらいたい「世代論」
更新日:2016/7/11
1980年代前半に生まれた世代には、バブル世代(1965~70年生まれ)や団塊ジュニア世代(1971~74年生まれ)といった明確な名前がないという。1980年代前半生まれの上の世代は、バブル崩壊後の「就職氷河期」(1993~2005年)の時代に新規卒業者となったロスジェネ世代(主に1970年代生まれ)であり、下の1987年生まれからは「ゆとり世代」と呼ばれている。
しかし名前がなかったわけではない。初めて彼らの世代につけられたのは「キレる17歳」だ。
1997年「さあゲームの始まりです」と始まる犯行声明を出し、日本中が騒然となった猟奇的殺人事件「神戸連続児童殺傷事件」、2000年の「人を殺す経験がしたくて」という犯行理由が世間を慄然とさせた「愛知県豊川市主婦殺害事件」と、牛刀を手に高速バス内で殺傷事件を起こした「西鉄バスジャック事件」と立て続けに事件が起きたこと――これらすべては1982年生まれによる犯行 だ――から「キレる17歳」と呼ばれたのだ。しかし成長するにしたがい、その名で呼ばれることはなくなった。もちろんその世代がキレる人ばかりなわけではないことも原因だ。その後2003年の「スーパーフリー事件」では彼らの世代が中核をなし、2008年の「土浦連続殺傷事件」と「秋葉原無差別殺人事件」、2010年「取手駅通り魔事件」、2012年「パソコン遠隔操作事件」、2014年「STAP細胞騒動」の中心人物もみんな1980年代前半生まれの「名前のない世代」だ。
なぜこの世代には名前がないのか。こうした奇異な人が多いのには何か原因があるのか。1983年生まれの「当事者」である『1982 名前のない世代』(宝島社)の著者・佐藤喬氏は、1980年代前半生まれが育ってきたのはどんな時代だったのかを丹念に繋ぎ合わせ、その理由を探っていく。佐藤氏は「個人的な偏見を含む、時代の雑なデッサン」とも言っているが、当事者ならではの記憶とその時代を肌で感じていた人の考察はとても興味深かった。
1980年代前半生まれの世代は昭和の遺物が消え、新しいものが生まれる中で育っていく。子どもだった80年代は比較的安定していたが、90年代に入ってすぐにバブルが崩壊し湾岸戦争も勃発。中学~高校になると阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件が発生、さらには同世代の少年が凶悪事件を引き起こし、不穏な中で多感な時代を過ごす。そして1995年にウィンドウズ95が発売されて以降インターネットが爆発的に普及、彼らは初めてネットに繋がるパソコンや携帯電話(NTTドコモによる「iモード」のサービス開始は1999年)を持った10代となる。21世紀に入ると大学生~社会人となり、911テロの発生から世界を覆う不安と「自己責任」という言葉に翻弄され、社会の中では格差が徐々に広がっていく。
この中で個人的に注目したいのは「インターネット」だ。それまで「世界の行き止まり」であった自分の部屋が、ネットによって世界中の人とインタラクティブに繋がったことは、とてつもない出来事だった。もちろんその前の世代も電話やテレビなどを持っていたが、電話は番号を知っている人しかコンタクトできないものであり、テレビやラジオは一方通行の情報しか受け取れないものだった。従来の行き止まりの世界では嫌でも自分と向きあい、煩悶しながら小説やマンガの中にいる「自分に似た人」に自分を重ね合わせるくらいしかなかった。しかしネットは違う。「同じ悩みを抱えているもうひとりの自分」を、いともたやすく見つけ出すことができる魔法の箱だ。それまで見たことも、触れたこともない新しい概念であった「インターネット」は、10代だった彼らに非常に大きな影響を及ぼしたのではないだろうか。
佐藤氏は最後に、名前がない世代に対してある一定の答えを出す。それはなんとも重たく、今の日本全体を覆うものであった。しかし希望がないわけではない、と終章で同世代の人たちの背中を押している。そしてその言葉は連綿と続いてきた時代を繋ぐ役割を担うすべての生きる人に投げかけられたものであり、より良い未来のため、じっくりその意味を噛みしめるべきだと感じた。
文=成田全(ナリタタモツ)