機能不全家族、毒親としての母…過去の”トラウマ”が無意識のうちに作品に投影される【後編】『母になるのがおそろしい』漫画家×『月光』監督対談

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更新日:2016/7/15

 どこか語ることがタブーとされている「性虐待」という問題。だがここ最近、その「性虐待」を正面から見つめる作品が少しずつ注目を集めている。たとえば自らの性虐待体験を赤裸裸に綴ったコミックエッセイ『母になるのがおそろしい』(KADOKAWA)を出されたヤマダカナンさん。そして、男性監督ながらレイプや親による性虐待という闇を正面から見つめた映画『月光』を撮った小澤雅人さん。なぜ二人はあえて描いたのか、自らの思いをじっくり語り合っていただいた。

【前編】はこちら

小澤雅人氏(以下、小澤):無意識にカナンさんの漫画が「性」に向かうという話がありましたけど、ものづくりをする人ってどこか“無意識”が勝手にさせる面を持ってますよね。僕は今までに長編を3作品撮りましたが、どれもが「機能不全家族」というのがテーマになっているんです。

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ヤマダカナン氏(以下、ヤマダ):やっぱり出ちゃいますよね。

小澤:どの映画にも主人公と母親が玄関でせめぎ合うシーンがあることに終わってから気がつきました。実は僕自身に母から閉め出された記憶があるんです。扉一枚なのに開かないともがく自分と、それを受け入れようとしない母親という構図が子供ながらにショックだった。それが無意識に映画に表現されているんですよね。

ヤマダ:私なんて母親を殺す漫画を2回も書いてますよ。ひとつは母親がいなくなった後の家庭を描いていて、もうひとつは作中で路地裏でのたれ死ぬというもので、これは母とうまくいっていない私の願望かもしれません。…でもお互い機能不全家族で育ってもいい方向に転んだから「映画監督」と「漫画家」になれたのかもしれませんね。

小澤:いいかはわからないですけどね(笑)。

ヤマダ:だって、下手すりゃ殺人とかの可能性あるわけじゃないですか。

小澤:確かに。カナンさんは辛いことがあっても漫画に逃げられるし、僕は映画に逃げられるし、お互い現実逃避みたいなところはあるかもしれない。たまたま僕らはそういう経験からたまったパワーを創作に向けられたと。カナンさんもワーカホリックだそうですけど僕もまさにそうだし、作品にずっと向き合うことで心の安静を得るみたいなところはありますね。

ヤマダ:私の場合は「怒り」がパワーになっているところがあるんです。怨みとか、私をバカにしたやつを見返してやる、みたいな気持ちが強いから、昔の漫画は全然エンターテインメントじゃなくて。だから意識して自分の毒みたいなものを薄めて薄めてちょっとずつ入れるという作業をするようになって、やっと「商売」になったという。

小澤:逆にその初期の毒々しいのを読みたいですね。今の時代なら、もうやってもいいんじゃないですか?

ヤマダ:う~ん。でも、やっぱり売れないでしょうし、食えなくなっちゃう(笑)。それに怒りのパワーで書いていると、全部出しきっちゃうと書くものがなくなってしまうかもしれないという不安があって、それで薄めて出せば長く描けるかな、と。子供を生むことを躊躇したのも、生んだら優しくなって毒性が薄れるかもしれないという恐れがありましたから。

小澤:僕なんて、ちょっと前まで子供を持つとか、家庭を持つとか想像できませんでした。幸せなものが想像できないから、こわかったんです、ほんとに。映画を撮ることで「機能不全家族」という自分の抱えている問題が客観的に見えるようになってきたのはありますが、まだまだ不安はあります。家で会話がないとか、夫婦で会話がないとか、常に険悪な雰囲気であるとかというのが特殊な状況だとはわかってきたし、自分の苦しみや葛藤は自分だけのせいではなかったんだと思えるようになったのが、多少救いにはなっていますが。

ヤマダ:お母さんとあえて距離をとっていらっしゃるんですよね。

小澤:そうなんです。「毒親」って言葉がありますけど、僕も母親といると「あなたはダメなんだよ」ということを強化されちゃうんですよね。子供の頃から常にマイナス思考を植え付けられたんで、今もきっと「映画監督なんて食べられないんだから、やめなさい」って絶対に言われる。まだ母の声の影響を完全に割り切れていないので、やっと映画を作れてきたというときに、ちょっとこわいな、と。

ヤマダ:お父さんとは?

小澤:二十歳くらいで一家離散してからは全然会っていないんですよ。僕が映画監督をやってることを知っているかどうかもわからないし、生死もわからない。

ヤマダ:その影響があるんじゃないですか? お父さんがわからないから、父親になれない、みたいな。

小澤:確かにそれはあると思います。父は常に母親に責められる弱い存在でしたね。パチンコで遅く帰ってくるのを、母と一緒になって僕も責めて、無視をして。もともとは父のことは好きだったのに、母と一緒になってやっているうちに自然と嫌いになっていきました。だから厳格な父親像なんてないし、イメージがつかない。

ヤマダ:私も父親像はまったくないです。母親像はあるとはいえ、母のような母にはなりたくないと思っていますが。

小澤:動物の世界では、父親が子育てに参加しないパターンも多いんですよね。人間ほど父親がコミットして家庭に入るという動物はそんなにいないはずなんですよ。極論ですが、生物って父親がいなくてもなんとかなってしまうのかもしれません(笑)。

ヤマダ:そうかもしれません(笑)。私、監督にエンターテインメントを撮ってほしいな、と思うんですよ。絶対に何かそういう「機能不全感」が出るだろうし、そこが見たいと思うんですよね。

小澤:ああ~。人間の心に迫ったものとか、人間の真実に迫ったものならエンターテインメントでも全然いいと思うんですけど、やっぱり『月光』みたいな演出だと暗くなっちゃうし(笑)。

ヤマダ:普通の家庭を描いてほしいです。絶対出ますよ、何かが。

小澤:でも、普通の家庭が想像できないから、どういう会話があるのかもよくわからないんです。自分で台本が書けるのか、という不安が一番大きいですね。普通の食卓じゃなくて、冷えきった空気の中で食べるのを描くのは得意なんですけど。

ヤマダ:私も普通の家庭漫画を描いてるんですが、どこか変なんです。でもその違和感が面白いとも思っていて。だから監督にもやってみてほしいですね。普通の幸せを知らないから、ある意味、願望も出ちゃうし。

小澤:なるほど…。たしかにそれが「個性」となるから、作品に「面白み」も出てくるのかもしれませんね。でも、もうちょっとかかるかな。どうでしょうね(笑)。

取材・文=荒井理恵