没後100年! 実は、寂しがり屋の食いしん坊!? 人間味にあふれたおじさんだった、文豪・夏目漱石を紹介する『となりの漱石』

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/14

『となりの漱石(ディスカヴァー携書)』(山口謡司/ディスカヴァー・トゥエンティワン)

2016年で没後100年をむかえた、日本を代表する文豪・夏目漱石。『坊ちゃん』『こゝろ』『吾輩は猫である』など、彼が残した数々の名作は教科書にも採り上げられ、一度は読んでみたことのある人は多いだろう。かつて彼の肖像画は千円札にも採用され、多くの日本人に愛される夏目漱石だが、彼がどんな人物だったか知っている人は案外少ないのではないだろうか。

知的で物静か、そんなイメージのある夏目漱石だが『となりの漱石(ディスカヴァー携書)』(山口謡司/ディスカヴァー・トゥエンティワン)では、彼がかなりの食いしん坊だったことや、悩み多き胃痛持ちだったことなど、漱石の知られざる素顔が記されている。

ここで少し、本書にある漱石の意外な素顔を紹介しよう 。本書には、彼の残した書簡が多くあり、その中の一つにこんな書簡があった。

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「小生目下胃病服薬中 夫でもむしゃむしゃ食いひ候」
(明治三十九年五月十五日、浜武元次宛書簡)

「小生は目下胃病服薬中だが、それでもむしゃむしゃ食べたよ」という内容のこの書簡は、かつての教え子である濱武元次に、ビスケットを贈ってもらったお礼に書いたものだ。漱石は食いしん坊だった。とくに甘い物に目がなく、仕事が一段落するといつも甘い物を食べていたそうだ。あとで胃が痛くなるかもしれないなぁ、でも食べる手は止まらないよぉ、そんなことを考えながら、むしゃむしゃビスケットを食べている漱石を想像するだけで親近感がわいてくる。甘い物だけでなく、こってりとした脂っこい物も好きだったという夏目漱石。彼の作品によく食べ物が登場するのは、腹ぺこだったからかもしれない。

夏目漱石が生きた時代は、明治。近代化の進んだ欧米に対抗するため、西洋技術や文化を取り入れ、国民全体が努力していた時代だ。漱石もたくさんの本を読み、たくさん勉強して、現在の東京大学英文科に入学した。そこで特待生となり授業料免除などの特典を受けていた彼は超エリート。と、このように見ると、夏目漱石は遠い存在の人と思うかもしれないが、彼は決して完璧な人ではなかった。彼が英国留学したときには異国でひとり過ごす寂しさや、国家留学というプレッシャーに胃がやられた。家庭では厳格な父親で、癇癪もちで怒ってばかりいたおじさんだった。

英国から帰国後、漱石は教師となったが、安定したエリート街道を捨てて、潔く生活が不安定な職業作家へと転身した。このとき、漱石は40歳。漱石は49歳という年齢で亡くなっているので、意外なことに彼が作家活動をしたのは約10年だった。

「あの懐かしい眼で、優しい眼遣ひをただの一度でもしいて頂く事が出来るなら、僕はもうそれ丈で死ぬのです」
(『明暗』)

夏目漱石が残した最後の作品『明暗』は、彼の死によって未完のまま終わった小説だ。本書の最後で著者は上記の『明暗』の一節を紹介し「晩年の写真に写った漱石を改めて見てみると、なんとも懐かしい、透き通った優しいまなざしが見えてくる」と述べている。

夏目漱石は、いまより100年以上も前に生きた人だが、私たちが思っている以上に人間味にあふれる身近なおじさんだった。作家のことなど知らなくても、作品が面白ければいいと思う人もいるかもしれないが、漱石がどんなことに悩み、笑い、怒って、愛して、小説を書いていたのかを知れば、読み継がれる彼の作品がより深く心に伝わってくるはずだ。これから漱石の作品を読もうと思っている人はもちろん、もう一度読み直そうとしている人も、ぜひ『となりの漱石』を手に取ってほしい。漱石がとなりにいる…は言い過ぎかもしれないが、となりに住んでいるんじゃないかと思えるくらいには身近に感じることができる。

文=なつめ