サブカルのカリスマ・小林賢太郎が描く、哀しくもあたたかな『うるう』の秘密
更新日:2017/11/14
ネット通販花盛りのこのご時世に何と、自宅近くに大型書店がオープンしました。もうね、通いまくってます。幸せです。夜遅くまで開いてるし、話題の雑貨も文房具も何でもあるんですよ。おまけに店員さんも親切だし。本当にありがたいです。
やっぱり本屋さんって楽しいです。ネット通販だと自分の興味のあるものにしかアクセスしませんけれど、本屋さんをぐるぐるしていると、思いがけない出会いがあったりして。最近の本屋さんだと、子ども向けの絵本コーナーに力を入れているところも多いようですね。特設の棚を歩いていると、作風も装丁も様々な絵本が、楽しそうに笑いかけてくるようにも感じます。自分が幼いころ手に取った絵本はこんなにカラフルで、複雑なストーリーだったかしらと、ふと立ち止まって考えてしまったりもして…。絵本って、侮れませんね。
『うるうのもり』(小林賢太郎/講談社)は、小林賢太郎氏による児童文学。お笑いコンビ・ラーメンズで脚本・演出を担当する同氏は、その多才さと端正なルックスから一部でカルト的な人気を誇り、サブカルのカリスマとしても知られています。コンビでのテレビ出演は少ないものの、相方である片桐仁氏は俳優としてブレイク中。TBS系で放送されたドラマ『99.9 -刑事専門弁護士-』で脚光を浴びたことは、記憶に新しいですね。
物語は、転校してきたばかりの10歳の「僕」が、先生のいいつけを破って、おばけの『うるう』が出るという森へ出掛けるところから始まります。細い一本道を進む途中、誰かの作った落とし穴にはまってしまう「僕」。そこに現れたのは、異様な風貌の中年男性でした。彼こそが『うるう』だと直感した「僕」は、それからこっそり森へと通うようになります。初めは「僕」を警戒していた『うるう』も、問い詰め に根負けし、自らについて語りだしました。
「私は、いつも余りの1だったんだ。
(中略)
いつも私ひとりのぶんだけ足りない。いつも私ひとりだけが余る」
「いつしか私は、私ひとりがいなくなれば世界のバランスがとれる、そう思うようになった。それで、こうして森にかくれているんだ」
そう話す『うるう』を気の毒に思った「僕」は、お互い友達になろうと提案しますが、彼は決してそれを飲もうとしません。
「余りの1は、ひとりしかいないから余りの1なんだ。私がそれだ。うるう年があって、うるう日があるのだから、さながら私は、うるう人だ。ないはずの1が世界のバランスをとるんだよ」
ある日「僕」は、『うるう』の住む森に通っているところを、クラスの友達に見つかってしまいます。秘密の場所が荒らされてしまうかもしれないと不安になった「僕」は、『うるう』と一緒に作戦を練り、二人はどうにかピンチを乗り越えます。手を取り合って喜ぶ「僕」と『うるう』。しかしそれでも『うるう』は、友達にはならないと言い張ります。語気を強める「僕」に『うるう』は、自分の秘密を話し始めます――。
小林氏初の絵本作品となる同書は、表紙絵と挿絵も勿論、彼の手によるもの。緻密なタッチで描かれたイラストは、ファンタジーとリアルの間を行き来しながら、読み手を森の奥へといざないます。ちょっぴりおどろおどろしい雰囲気と写実的な筆致は、木ずれの音や土の匂い、ひんやりとした空気感まで届けてくれそうで…これはまさに、“読む4DX”と評しても過言ではないでしょう。
文字数もそれほど多くないので、子どもへの読み聞かせにも最適です。この奥行きのある世界観を楽しみながら育ったお子様は、素敵な感性を持った大人になってくれるんじゃないかなと…。子ども向けの作品として発表された同書ですが、ストーリーの温かさと読み終えた後の寂寥感は、社会生活に疲れた大人の心も浄化してくれるはずですよ。
ラーメンズの公演やK.K.P.(小林賢太郎プロデュース)作品ファンなら必読の書ではありますが、未体験の方も勿論、文学として楽しめるものになっています。というか、“小林節”に触れたことのない読者のほうが、ひょっとしたら素直にストーリーを楽しめるのかもしれません。私は以前、彼の携わった映像作品を片っ端から見た時期があったので、この本もどうしても、この書き方は怪しいとか、この部分は伏線なんじゃないかとか、邪推しながら読んでしまって…真っさらな視点で楽しめる方が羨ましいんです! ですから、皆様どうか私のぶんまで、純粋な目線で楽しんでくださいませ…!
文=神田はるよ