新京極通は魔界だった? 鴨川には凄惨な過去が? あなたの知らない怖い京都をご案内
更新日:2016/8/31
日本で有数の観光地として、国内外から多くの観光客が訪れる京都。町が碁盤の目のようになっている、歴史的な建物や場所が多い、珍しい地名が多いなど、他の地域とは一線を画している。かつて栄華を極めた場所であるだけに華やかなイメージが強く、それが多くの人を惹きつける。しかし、実は京都には残酷で怖い一面があることをご存じだろうか?
『ほんとうは怖い京都の地名散歩』(浅井建爾/PHP研究所)では、京都の地名に隠された謎や怖い伝説など、現在のイメージとはかけ離れた身の毛もよだつエピソードが紹介されている。
魔界だった新京極通
京都でお土産を買う時など、一度は立ち寄るであろう繁華街の新京極通。現在は、飲食店や土産物店、娯楽センターなどが並ぶ商店街だが、かつては妖怪や怨霊たちが棲む魔界として、人々が恐れる地域だったそう。平安京の東端を南北に走る「東京極大路」という通りがあり、ここは人間界と魔界の境界線だと言われていた。明治時代に建設された新京極通は、この境界線の外側に位置しているというわけだ。1000年以上の時を経て活気にあふれた商店街になるとは、平安京の人は想像もしなかっただろう。
地名に隠された謎
阪急電鉄京都線の「西院駅」も、実は恐ろしい場所だった。これは「さいいん」と読むのだが、古くは「西院」を「さい」と読むのが一般的だったそうだ。そのため、近くを走る京福電鉄嵐山本線の「西院駅」は「さい」と読む。では、「さい」とは何のことなのか? お気づきの方もいるかもしれないが、「賽の河原」だ。当時、西院あたりは魔界との境界だと信じられており、現在の姿からは想像もできないような不気味な場所だったようだ。そして、近くには「佐比の河原」という埋葬地があった。賽の河原は三途の川を渡った先にあるので、埋葬地であるこの場所と通ずる。そこから、西院と賽の河原が結びつけられたようだ。
鴨川に隠された凄惨な過去
デートスポットとして有名な鴨川。納涼床は夏の風物詩で、川の流れと風を感じながら食事を楽しむことができる。清らかな水をたたえ、訪れる人に安らかな時間を提供してくれるこの場所では、残酷な光景が繰り広げられていた。当時、鴨川の河川敷は「三条河原」と呼ばれる地域で、処刑場であるとともに死体の捨て場所にもなっていたのだ。さらに、斬首された首を見せしめのために晒し首にする場所でもあった。あの石川五右衛門が「釜ゆで」(生きたまま油が煮えたぎる釜に放り込まれた)で処刑されたのも、三条河原。この時は、五右衛門の子どもまで処刑されている。
ちなみに、鴨川の河川敷には「六条河原」という地域もあった。三条河原を上回る規模の処刑場だったそうで、多くの命が奪われ、キリシタンの大量処刑が行われたのもこの場所。キリスト教徒が六条河原の十字架に縛られ、火炙りで処刑されたのだ。それには子どもも含まれており、泣き叫びながら焼き殺された子もいたとか。今では人気のスポットなので訪れたことがある方も多いと思うが、次に鴨川で時間を過ごす時には、ここで奪われた多くの命に思いを馳せてみてはいかがだろうか。
今回ご紹介したのは、ほんの一部だが、本書には京都の心霊スポットや丑の刻参りの伝説など、ガイドブックには載っていないような怖いエピソードが多数掲載されている。一般的な観光地を巡るのも楽しいが、本書を片手に気になる場所に行ってみるのも面白そうだ。京都を訪れる予定のない方も、猛暑だと報じられている今年の夏を乗り切るために、本書でひんやりしてみては?
文=松澤友子