「楳図かずお」から「つのだじろう」まで“恐怖”作家を網羅! 初めて解き明かされる怪奇マンガの歴史
公開日:2016/8/13
時代が変わろうとも、色褪せない怪奇漫画の世界。これまでにも漫画家ごとについての研究書はあったが、様々な作品や作家の歴史を体系的にまとめた『戦後怪奇マンガ史』(米沢嘉博:著、赤井祐一:編/鉄人社)が刊行された。
著者は漫画評論家であり、コミックマーケットの発起人としても知られる故・米沢嘉博である。いわゆる「通史」として、怪奇漫画がまとめられた本はなかったというのは編者である赤田祐一。
冒頭、怪奇漫画は人が死ぬ、残虐な描写が多いことから「冷遇されてきた」とする本書。しかし、米沢による「漫画の最上の部分と最低の部分は〈変さ〉において通底している」という持論を受け継ぎ、怪奇漫画の全体像をまとめようと試みたという。
編者は「ホラーブームが生まれても怪奇漫画にスポットは当たらない」と主張する。しかし、時代性と関わりなく愛されるのが怪奇漫画の魅力でもあるというが、じつは、その中身は細分化されている。
純粋に読者を怖がらせる「恐怖漫画」は、その一例である。対象読者は少女や低学年の子供たちであるが、じつは、主人公には少女が多いという。その理由は、少年は目の前の恐怖へ立ち向かい、謎を解明しようとするからで、純粋に怯え、恐怖に震える少女が選ばれるというわけだ。
その第一人者として知られるのが、1955年に貸本漫画家としてデビューした楳図かずおだ。なかでも特筆すべきなのはデビューから10年後、1965年発売の少女漫画誌『週刊少女フレンド』で、浜慎二の『白い血』に続き、同誌の22号~25号でスタートした短期連載作品の『ねこ目の少女』と、32号からの短期連載作品『ママがこわい!』である。
楳図の作品は「他の作家を圧倒するほどのインパクトを残した」と編者はいう。時代背景として、当時の少女漫画には「かなしい、こわい、ゆかい」の3つの柱があり、怪奇漫画であってもミステリー、サスペンス、ファンタジー、SFの世界観があった。しかし、楳図による『ねこ目の少女』は、読者へ恐怖を与えることだけを純粋に追い求めていたとしている。
楳図ならではのテクニッとして語られるのは、理由のない後味の悪さだ。次作『ママがこわい!』では、入院する母親を少女が訪ねるところから物語が始まる。少女は病院で自分を蛇だと思い込んでいる女と出会うのだが、やがて母親も“蛇女”として少女へ襲いかかるという展開だ。生理的嫌悪感を与える蛇に、母という本来なら「幸せのシンボル」である存在を重ねる設定が特徴でもあるが、この美少女とグロテスクの対比というのは、のちに楳図作品の軸になっていく。
一方、楳図が怪奇少女漫画家として活動し始めた頃、ちょうど時を同じくして水木しげるもデビューを果たす。1958年、兎月書房のSF『ロケットマン』でデビュー後、東真一郎名義で『怪奇猫娘』を刊行。続く『地獄の水』と共にこれらのエピソードは、のちに『鬼太郎夜話』でも使われた。
また、忘れてはならない水木の代表的なキャラクター・鬼太郎が初登場するのは、1960年発売の怪奇短編集『妖奇伝』だ。最終巻となった2号で、表紙に描かれた「醜いガイコツの頭に立てられたロウソク」の図に言及した水木は「これがまたグロテスク過ぎるという理由で全然売れない。ところが、一人の読者から長文の手紙が届きましてね。この作品は絶対続けるべきだというんです」と、その手紙がなければ鬼太郎が続けられることはなかったというエピソードを明かしている。
先の怪奇短編集はあえなく2号で廃刊となったが、その後、全19巻の『墓場鬼太郎』が刊行されることになる。この『墓場鬼太郎』だが、じつは、7~9巻を除き各巻の最後には別の作家による作品が必ず入っていた。設定は一貫しており、家賃の安さにつられた漫画家の入った下宿屋は、じつは夜叉が経営する場所だったという物語。やがてこの漫画家を求めて吸血鬼と夜叉が闘うのだが、この吸血系の助手としてねずみ男も登場している。そして、この闘いの末、血をかけて育てられた“吸血木”がのちに『鬼太郎夜話』の導入部で作中の歌手・トランク永井に植え付けられ、作品が繋がっていくのである。
時代を超えても普遍的に、恐怖という同じ感情が生まれるというのは「怪奇漫画」ならではの魅力といえよう。本書では、『どろろ』を描いた漫画界の巨匠・手塚治虫や、『デビルマン』などで知られる永井豪、心霊モノの大家として『恐怖新聞』を描いたつのだじろうなど、時代に名を残す漫画家たちが、どのように恐怖と向き合ってきたのかを網羅できる。
夏といえばホラーも“風物詩”といえるが、漫画の世界でどのように恐怖が描かれてきたのか。この機会にその系譜をたどってみるのもいいだろう。
文=カネコシュウヘイ