AVが現実を変えた!? 日本が生んだ究極のエロ「痴女」の成り立ちに迫る

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公開日:2016/9/4


『痴女の誕生 アダルトメディアは女性をどう描いてきたのか』(安田理央/太田出版)

 男性にHな行為を楽しんでしかける女性をさす言葉、「痴女」。主にアダルトメディアにおいて、絶大な需要を誇るジャンルとして認識されている痴女だが、その成り立ちは意外に知られていない。

 AVライターにして、監督も経験するなど、エロ文化の第一人者でもある安田理央がそんな痴女の歴史を、アダルトメディア史の中から浮かび上がらせた『痴女の誕生 アダルトメディアは女性をどう描いてきたのか』(太田出版)は、安田本人が「キャリアを総括するつもりで書き上げた」と自負するほどの力作だ。全五章から構成されている本書は、それぞれの章で「美少女」「熟女・人妻」「素人」「痴女」「ニューハーフ・男の娘」と、アダルトメディアを彩ってきたジャンルについて詳しく分析していく。それは、男性たちのあくなき性への探究心の歴史だ。しかし、それだけではない。特に痴女については、トレンド化に意外なルーツを持っていたことが明らかになるのだ。

 その説明をする前に、理解しておきたいのはアダルトメディア=男性目線のメディアという大前提である。わずかな例外を除き、AV、エロ本、風俗といったアダルトメディアは男性を消費者として想定している。そのため、アダルトメディアのトレンドの変遷とは、男性の性的嗜好の変遷であり、時代を経るごとに恥ずべきものとして隠されていた男性の性欲が、明るみに晒されていく過程でもある。

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 例えば、今でこそどこのレンタルビデオショップであろうと、必ずアダルトコーナーの一角を占領している「熟女もの」だが、かつては熟女好きを公言するのが恥ずかしいことだったと、熟女AVの代表的監督、溜池ゴローですら語っている。

 現代ではテレビでお笑いタレントが熟女好きを堂々とカミングアウトして笑いをとっている。話し手も視聴者も、一般的な嗜好から外れているとは認めつつも、それがマイノリティーに属することだとまでは思っていない。アダルトメディアによって、確実に現代人の性へのスタンスは解放されてきているのだ。

 しかし、「痴女」ものAVがその他のAVのジャンルと決定的に違う点がある。それは、AVに登場する痴女のベースを作り上げたのは、男性ではなくて女性であるという事実だ。AVにおける痴女とは、SMの女王様のように、加虐心の塊ではない。あくまで、男性を快楽に導くことに悦びを感じており、そのためにテクニックを行使してくれる存在なのだ。そして、その雛形となった人物が風俗店「乱コーポレーション」で働いていた南智子だった。1991年にAVの世界に進出して以降、南智子は有名男優を一方的に責め立てるという、それまでのAVでは考えられない男女の立場を逆転させたプレーで有名になっていく。そして、このプレースタイルは「乱コーポレーション」で働く女性たちが共同で開発したものだった。それまでは男性主導で男性のために作られてきたAVというメディアに、はじめて女性側の欲望が導入されたのである。

 やがて痴女ブームが過ぎると、逆に「痴女」という言葉を冠したAVは売れなくなったという。しかし、それは痴女の人気が失われたわけではなく、むしろ、女優が痴女を演じることが当然になりすぎたがゆえの現象だった。そして、いまや女性向けメディアは当然のようにセックスの特集を行い、女性向けのアダルトメディアも発展してきた。かつて、痴女の特権であった行為の多くは、ごくノーマルなセックス中の行為として現代の女性たちに認識されている。

 そして、山本わかめをはじめとする女性AV監督の台頭である。女性の視点で、男性が女性に陵辱される姿を見て興奮している山本監督自身が、南智子のような痴女の系譜に重なる。

アダルトメディアで描かれる「美少女」「ギャル」「熟女」「素人」などは、すべて男性の妄想を具現化したものだといえる。しかし、痴女だけは現実へと侵食していった。女性たちはAVなどで描かれた痴女の要素を取り入れていった。
本書p.202~p.203

 それは、痴女が女性によって生み出されたイメージだからだと著者は結論付ける。男性主体と考えられていたアダルトメディアは、女性たちの性意識にも、変革を起こしていたのだ。

文=石塚就一