真面目な好青年をイスラム過激派の処刑人に変えたもの――。本人と面識のあるジャーナリストが記した衝撃ルポ
公開日:2016/9/5
2015年2月。その動画は日本中を戦慄させた。フリージャーナリスト、後藤健二さんの処刑映像をイスラム過激派であるISIL(イスラム国、以下IS)がインターネット上に投稿したのだ。日本政府に対する怒りのこもったメッセージや、後藤さんが纏っていたオレンジ色の装束も十分に衝撃的だったが、もっとも日本人を恐怖に陥れたのは処刑の方法だった。斬首。およそ現代の文明国では考えられない、残酷な方法で後藤さんは殺されたのである。執行者は当時の日本のニュースでは「黒装束の男」と報道されたが、やがてIS内でジハーディ・ジョンと呼ばれている人物だと判明した。「ビートルズ」と呼ばれる人質の拷問や処刑に特化したチームの一員だったジョンは、ISの投稿した数多くの処刑動画でその姿を見せている。
こんな残虐非道を行える人間はどのように生まれ育ち、どのように人格形成がなされていったのか。『ジハーディ・ジョンの生涯』(ロバート・バーカイク:著、野中香方子:訳/文藝春秋)はイスラム過激派の動向と欧米諸国のテロ対策の歴史とともに、ジョンの生涯を浮き彫りにするルポタージュだ。本書の驚くべき点は、著者のロバート・バーカイクがテロリストになる前のジョンに取材していた世界で唯一のジャーナリストということだ。そして、読者はイスラムの処刑人、ジハーティ・ジョンからは似ても似つかない過去の姿に驚愕することだろう。
バ-カイクがジョンに出会ったのは2012年の12月、ジョンからの取材申し込みを受けたことがきっかけだったという。ジョンの本名はモハメド・エムワジ。クウェートから亡命してきたイギリス人だった。少年時代は不良グループに入り、大学ではイスラムのネットワークと接触したこともある青年だったが、過激派と呼ぶには程遠く、クウェートに戻って会社員となり穏やかな生活に身を埋めていたはずだった。
しかし、MI5(イギリス情報機関)に目をつけられていたエムワジは度重なる尋問に悩まされるようになる。MI5の手は職場や婚約者の家庭にまで及んだ。エムワジは会社を追い出され、二度の婚約はいずれも破棄されてしまう。エムワジが助けを求めたのがイギリスの新聞『インディペンデント』で、イスラム圏の人々が受けた過剰な尋問を批判する記事を書いたバーカイクだったのだ。
バーカイクがエムワジから受けた印象は、「紳士的」。思想に偏りこそあったものの礼儀正しく真面目な青年だったと回想する。バーカウイクに限らずエムワジに関する証言は好意的なものが多く、特に職場では優秀な社員として信頼を集めていた。
しかし、『インディペンデント』を異動になったバーカイクはエムワジの証言を記事にすることができなかった。次にバーカイクがエムワジの姿を見たのは2年後、ジャーナリストのジェームズ・フォーリーの斬首動画の中である。仕事も人間関係も奪われ、廃人のようになったエムワジはシリアに渡り、ジハードに参加した。攻撃的な性格で成果を挙げたエムワジは組織内で頭角を現していく。ISが世界へのPRとして人質の殺害をインターネット上で公開する方針を打ち出したとき、エムワジは作戦に指名された。ジハーディ・ジョンの誕生である。
関係者の発言を繋ぎ合わせて辿られるエムワジ=ジョンの軌跡は、非常に精密だ。自分がエムワジの記事を書いていればジハーディ・ジョンは生まれなかったのではないか? 行間からそんな後悔が聞こえてくるかのように。
バーカイクは繰り返し「先鋭化」というキーワードを出す。単に偏りがあるだけのイスラム教徒を過激派にまで先鋭化させてしまうもの。それは宗教や歴史への思い入れよりもむしろ、先進国の過剰なテロ対策だと本書は警鐘を鳴らす。テロが起こるたびに偏見に晒され、ときにはエムワジのように人生を破壊されてしまうイスラム教徒たちに、過激派からの勧誘がどんなに魅力的に響くのだろうか。
ジハーディ・ジョンは2015年11月、ドローン爆撃による死亡が確認された。しかし、だからといってテロと先進国の情勢に何らかの変化があったわけではない。テロリストを見つけ出すことよりも新たなテロリストを生み出さない努力のほうがより重要ではないかとバーカイクは提言しているのだ。そして、本書の最後はこんな一文で締められている。
モハメド・エムワジは殺されても、ジハーディ・ジョンの替えはいくらでもいる。
文=石塚就一